日録

仔羊の小夜曲

 Twitterでもポロポロと呟きましたが、僕自身の生い立ちのこともあって

クリスマスは一年で最も楽しみな日です。

大人になっても幼かった頃の感動を覚えていて、出来ればそんなひと時を

分かち合えたらと願ってもいます。

昨今のクリスマスは恋人の日だとか、商戦の日だとか、いつの間にか

一部の人間のためだけの非常に閉じた時間として扱われていますが、本来は違います。

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東京砂漠

 東京について書かれた紀行文は数多く、多くの人にとって

憧れの街であるのは今も昔も変わらないでしょう。

『東京讃歌』みたいな音楽も多くのアーティストが歌っていますし、

ドラマも小説も舞台は専ら東京、それだけ多くの人びとに感銘を与えたのでしょうか。

 

 

 よもや僕が東京について語ることはないだろうと思っていましたが、

二度目の東京を期に、書かねばという思いが一層強くなりました。

思い出とか紀行とか、そんな心地の良い言葉だけで表れるものではありません。

それでもこの拙文が何方かの目に留まるのでしたら、とても幸いなことです。

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東京

 二泊三日の東京から本日、名古屋に帰りました。

自分の事を記事にするのは好きではないですが、忘れられない出来事や、

信じられない出来事があまりにも多かったです。

狂気と隣り合い、飲み込まれてしまう恐怖がありました。

「気を確かに」と言い聞かせるように手帳に残した書き留めを、

ここにも残しておきます。

ほぼ原文です。

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共同生活における「自己覚知」

 自己決定という言葉を聞いて、僕たちは何を思い浮かべるでしょうか?

これは文字通り自分のことは自分で決めるという意味ですが、

大きく捉えると例えば就寝や起床、食事、入浴、買い物、こうした身近な行為にも

全て自己決定の要素を持つと言えます。

 

 

 では一つ話を進めてみましょう。

こうした自己決定を他者に一生代行してもらう人生を想像したことがあるでしょうか?

これは障がい者介助において最も重要であり、介助者が一丸になって考えるべき

とても大きな課題の一つです。

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アンサングと消えた足跡

 いつの間に2016年も暮れ頃に、年の瀬という言葉が身にしみるばかりです。

その間、とても濃密な制作が続いたのもあって一層、時間が早く感じましたが、

今年はずっと、同じ題材と向き合っていた気がしました。

僕にとって身近な人が亡くなってから、生まれ死んでいく僕たちの行方について

無意識のうちに考えてしまいます。

それと"-One Summer's Day / 餞の唄-"の制作中に大叔母が自殺したことも

重なって、今までの浅はかな死生観が粉々に砕けた瞬間も訪れました。

さながら十字架の前にひざまづいて、日の出を待つような、

昔と今日の輪郭をなぞりなぞる日々でした。

忘れたくもない、忘れられもしない記憶が、今になって堰を切って流れ出すようです。

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