今日、東日本大震災から六年目を迎えまし
た。今朝の新聞の一面を見ると、震災のこと
については一番小さな欄に書かれていました
。今から三十年も前に起きたチェルノブイリ
原発事故が未だに収束していないとの同じよ
うに、福島第一原発事故も収束していません
。それなのに、この記憶がもう既に薄れ始め
ている。政府に至っては「震災六年目を一定
の節目として判断した」と言い、東日本大震
災の会見を打ち切りました。今まで散々に原
発を推進してきた国家が、十万年、百万年後
の福島の未来を奪った原発事故の取り返しの
つかない事態の終息宣言を行い、風化を促す
のです。故郷を失った人々に対して、歴史に
対して、これ以上の犯罪はありません。
震災から六年目、今年も東北を題材に制作
を行いました。それまでの作品は僕が五年前
に実際に足を運んだ宮城県七ケ浜町を題材に
したものでしたが、今作は僕が一度も行った
ことのない、福島県双葉町を題材にしました
。題名は福島県沿岸部をとおる国道六号線が
由来となっています。
双葉町には東京電力福島第一原発の五・六
号機が立地し、原発事故後から今も高い放射
線量のため帰宅困難区域に指定されています
。コンクリートブロックの隙間から既に雑草
が茂り始め、随分長く放置されていることが
分かります。カーテンが僅かにはためくあの
建物では、一体何をしていたのだろう。あの
家には、誰が住んでいたのだろう。そう考え
ずにはいられませんでした。
「原子力 明るい未来のエネルギー」
大きな標語を掲げた商店街の先には、誰もい
ません。時折猫が地べたに転がっていたり、
首輪を付けたままの子犬たちが途方に暮れた
ように歩いていたりするだけでした。この動
物たちが今どうなったかは、分かりません。
そして、あの標語を掲げた看板の一部が撤去
されたと聞きます。過ちを隠ぺいしたところ
で、この街から放射能が消えることはありま
せん。忘れるだけなら、同じ過ちを繰り返す
だけ。
こんな大惨事が起きたというのに、原発や
東北について話しづらい雰囲気が漂っていま
す。「風評」という言葉を使えば、簡単に口
封じが出来てしまいます。
実際、大手メディアは原発事故は収束した
と言わんばかりの、「震災ポルノ」紛いなド
ラマを放送し始めています。僕からしたら、
そちらのほうこそ風評。東北を食い物に歴史
を風化させる、「恥を知れ、火事場泥棒!」
と叫びたいです。
本作を描く時、この作品が存在を許される
のか、相変わらず不安がありました。風評ど
うこうという理由ではありません。東北から
遠い愛知の住民が、こうやって騒ぎ立ててい
るのに不快感を示す人もいるかも知れない。
今の生活があるから、これ以上思い出させな
いで欲しいという人もいるかも知れない。も
しそういう方がこの文をお読みでしたら、ご
めんなさい、あなたの思うことはごもっとも
です。
けれど僕は、黙ってはいられないのです。
ぶつかり合うことがあったとしても、この記
憶を語り継がないといけないからです。日本
に住んでいるなら、誰だって被曝とは無縁で
はないのですから。原発事故が起きた時も起
きる前も被災地とか東北とか、そんな線引き
はどこにもないのですから。
震災が起きて以来、日本の東北に人が住め
ない場所があること今も悲しみを感じます。
福島と聞いて、東北と聞いて、そう思い浮か
べてしまうのがずっと辛いです。今も避難生
活をされている方や、避難はしていなくても
東北にお住まいの方なら、東北にこんな印象
が付いてしまったことが辛いと、僕以上に感
じると思います。こんな悲劇を、二度と繰り
返したくないから、僕は、絵に描いて残して
おきたかったんです。
それでも、傷跡をなぞるだけなら絶望しか
ありません。僅かでもそこに、希望を添えて
みたかった。
僕たちは一人ではない、空も大地もたった
一つ。同じように苦しんで、同じように分か
ち合える。僕が忘れてしまったのなら、思い
出させて欲しい。誰かが忘れてしまったのな
ら、思い出させてあげたい。途切れてしまっ
ても、何度でも手を差し伸べたい。
人間は愚かで微力で、ちっぽけな存在です
が、心を持っています。微力でも心を絶やさ
ず、何度でも繋ぎ留められる強さを持ってい
ます。少し思い出して、話してみるだけでい
い。ちょっとだけ考え方を変えて、何かを選
べばいい。難しいことは何もありません。
僕はこれからも絵を描き続けます。その作
品たちが、少しでも希望を繋ぎ留めるのなら
。そして、僕はあなた達とこれからも生き続
けます。折れそうな時も、嬉しい時も、放心
してしまった時でも、あなた達と同じ時を生
きています。そのことを僕は、一生忘れませ
ん。忘れないように今日も、祈っています。