去年"―amabie / 桜の晩歌―"という作品を描き、その時から自身の制作についてとても悩まされてきました。そのため私自身、作品について上手く説明できないことも増えてきました。この混乱を引き摺ったまま"―No Name / 死者の家―"、そして新作"-Le vent se lève / 青春譜-"の完成を迎えました。
じっさい、いま書いているこの文章も非常にたどたどしく、まるで人との話し方さえ忘れてしまったようでした。職場では普通に仲間と休憩のベンチで世話話もしますし、たまに友人や兄から話し掛けられたらいつもの饒舌で延々と場を持たせられる自信さえあります。けれど、絵描きとして何かを話そうとなると、全く言葉が思い浮かびませんでした。インフルエンサーになりたいわけでも、誉められたいわけでもない、何かを理解してもらいたいわけでもない。万物の意図を神にしか説明できないのと同じで、ただそこにいたかっただけかも知れません。けれど、存在するからこそ役目が欲しくなるのもまた望郷の想いに似ています。
一寸先は闇、人の世は混沌。
分かりきっても、納得出来ないのは私だけでしょうか。
殊にいま、新型コロナウイルスの感染拡大が再び深刻になってきました。そんなニュースを物憂げに伝えた後、片隅に押し遣るかのように連日、東京五輪の話題を延々と熱っぽく語るキャスターの姿。「五輪よりもコロナ対策を」と言ったあの人もいま、五輪に夢中だ。何が感動だ、何が復興だ。ふざけるな二枚舌、裏切り者。
元より私は2013年に東京に五輪の招致が決まった時から、その判断に懐疑的でした。開催に至るまでの数々のスキャンダルは目に余るものでしたし、何よりも東北の復興を標榜にした欺瞞への怒りが発端でした。原発構内の作業員の被曝や貯水タンクの継ぎ目からの水漏れを傍目に「(福島からの汚染水は)アンダーコントロール」と前首相が発言したことを未だに忘れませんし、コロナ禍で強行された五輪では「安心・安全」が合言葉になりましたが結局「アンダーコントロール」と本質は変わりませんでした。政治家はコピーライターではない。最早コピーライターですらない、詐欺師だ。大都市が地方から資源と働き手を消費し、同時に地方を枯らしていく構図を変えない限り「復興五輪」は実現しない訳ですが、戦前戦後それ以前からこの構図は殆ど変わっていないのが実情です。
仕事を失い路頭に彷徨う人がいる、重症に苦しむ人、後遺症に苦しむ人がいる。まともな手当てすら受けられず自宅で放置された人がいる。希望に満ちたはずの若者が次々に自ら命を絶っていく、そんな中を水入らずでスポーツを楽しめるはずがない。「アスリートは頑張っている」と誰かが言うけれど、アスリートじゃなくたって頑張っている。頑張らなきゃ殺されてしまう時代なんだ。誰かの頑張りのために他の誰かに死ねというのか。こんなディストピアはもう、辞めてくれ。お前に死ねなど、私も言いたくはない。
こんな状況で、こんな心境で私は何を言えば良いのか、何を描けば良いのか、ずっと悩まされてきました。人の手に負えない時だからこそ、芸術が人の在り処を問い質す役目を担っていくものだと、私は信じていました。けれど、それを人に期待するのは間違いだったとも思いました。十年先の事よりも今日のいいねとフォロワーにしか興味のない作品に期待する事など、何もありません。芸術が人間を腐らせることはない、ただ人間が芸術を腐らせるだけのことですから。
『春の盗賊』という太宰治の作品があります。上流階級から小市民の生活に身を置いた或る作家の家に泥棒がやって来て、作家は泥棒に対して書きかけの小説の筋書きをもって説得を試みましたが、泥棒は嘲笑うかのように一通りの盗みを働いて逃げ去ってしまう、という粗筋です。それは太宰の心境を端的に表したと友人の壇一雄が語っており、太宰は俗世の人情を誰よりも嫌悪しながら、その人情に媚びて訴え掛けるようだったと言います。私の近年の制作もまた、これに近いものがあると思いました。どうしようもない世論に訴えたり、仲間づくりをしたい訳でもない。ただここに命がある、命があった、それだけの事です。それでも出来ることなら、生命の選択が常習化したこの世の中を問い質すきっかけになって欲しいと囁かに願う気持ちを掻き消すことも出来ませんでした。勿論怒りだって滲み出る。思い出したくないこともある、帰りたい過去もある、もしかしたら叶えたい未来だって。変わりたい自分も変わりたくない自分もある。それが生きるということ、描くということ。
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