残映とともに。

 今日、私は28歳になりました。10年前の私はちょうど高校3年生で、1年生の頃に加入した合唱部は当時の私にとっては家族以上に心の拠り所でした。中学から高校に上がる時、それまで保っていた心の安寧が打ち砕かれ、大人たちには失望し、頼るものは同じ心の傷を負った同級生だけでした。後に親友と呼ぶ人とは半年以上に及ぶ絶交期間もありましたし、部活内の内輪揉めもありましたし決して万事安泰ではありませんでしたが、その中で私たちは大人になろうとしゃかりきになっていたのだと、今は思います。

 

 

 彼らとは去年の末頃にプライベートな同窓会で8年振りの再会を果たし、かつての同級生と結婚して一児の父となった人や同窓会後に入籍した人、社会の荒波に揉まれながらもしたたかに生き延びようとする人もいて、それぞれが精一杯に生きている事を実感させられました。勿論、高校時代の諸々は時効で水入らずなひと時を楽しめました。それでも何故か私には17歳・18歳の頃の彼らの姿の方を今でもありありと思い出されます。思い出とは本当に不思議なものです。

 

 

 10年前、東日本大震災がありました。東京が揺れ、仙台空港は濁流に呑まれ、東北の海沿いの町が次々に更地にされ、福島第一原子力発電所が爆発し、大量の放射能が日本の各地を汚染しました。この世の終わりさえ予感しました。今でも汚染土や処理水の問題は解決されておらず、放射線レベルが安全値に達するのに何百、何千年も掛かる地域もあります。こんな事柄を文章にするだけでも、胸が痛みます。認めたくない、けれど認めるしかない、いつでも葛藤します。

 

 

 それから色々な出来事が日本で、世界で起こりました。2015年の「イスラム国」による後藤健二さんら邦人の殺害、2016年の熊本地震、2018年の大阪北部地震、同年の広島の豪雨。何れも大きな被害を認めながらも政府はまともに取り合う事もなく、多くの人々はあっという間にこの出来事を忘れてしまいました。助けられる人を助けない、全ては自己責任というロジックは東日本大震災を経てから既に形成されたようでした。喪失の悲しみや死が当たり前になって、不都合な数値として淡々と処理されていく、そんな時代になってしまったと思います。

 

 

 そして今、世界中が新型コロナウイルスの脅威に見舞われています。ニュースでは相変わらず感染者と死者が数値として淡々と処理され、その後には大抵煽り運転や迷惑客やSNSからのリツイートみたいなニュースが流れる。気が狂いそうでした。どこにもあなたの味方はいない、全ては自己責任の元で自由、ただし人には迷惑を掛けるなと言うようでした。世間とはアバウトな総意で、常に誰かの弱みを見付けて自己を満たそうとする。こんなのが当たり前になって良いのか、誰にそういえば良いのか。どうしてこんなに胸が痛むんだ。おかしいのは誰の方なんだ。おかしいよ、今のすべてが。

 

 

 そう思い苦しむ私はまさに10年前の今日、生まれたのだと思います。確かに高校時代の半ばは孤独で苦しかった。仲間を傷付けたし親にも迷惑を掛けた。それでも私を突き放さずに見守ってくれた、仲直りだって出来た。平和というのはただ争いがないというだけではないと思いました。支え合い、ゆるし合い、喜びも苦労も悲しみも分かち合う。そんな平和の礎を共に築き上げたのが18歳のあの時だった。

 

 

 18歳の頃の自分を裏切らず、今日まで生きて来られたのか。多分、大した大人にはなれていなかったと思います。何も成し遂げていない。命を尽くして救えた事もなければ、酷い仕打ちを寛容にゆるす事も出来なかった。それでも、10年前の自分との約束だけは一生守っていきたい。「親がいるから子が育たない」なんて言わせたくない。今のすべては過去と未来のすべて。それが私の、生きる理由。