unsungを白い息と唱えてる。

 今年に入ってから私の制作を取り囲む環境が大きく変わりました。今日までの十ヶ月間を殆ど一人で過ごし、新型コロナウイルスの影響で遠出も叶わず、仕事以外で言葉を発する時間はめっきり減ってしまいました。

 言葉にせよ音楽にせよ、絵画にせよ、それらは他者と共有される言葉としての役目を担っていると、ずっと信じていました。だからこそ、孤独の身を噛み締める程にその信念が揺らいで、次第に無価値になってしまうのかと不安も募っていきました。じっさい、今年は僅か二作と例年より更に作品も少なかったし、溢れてのたうち回る数多の何かの輪郭をキャンバスに残せても、その全容を描くに至らないばかりでした。

 

 

 そもそも何だよ、伝えるって。

何の疑いもなく伝わると思って描くのなら、そんなのは大本営発表と変わらないじゃないか。伝える事自体が権力的な蛮行か、或いは神のなす業だというなら、私は願い下げたい。絵描きを名乗りながらも、私が一番嫌いな表現物は絵です。「毒は目から入る」と警告されるほど他よりも刺激的で本能的な媒体で、一瞬にして思考を奪ってしまう危険があるからです。

 

 

 それでも、私は描くことも文字を綴ることを辞められませんでした。

ただ、伝わると思って描くのをやめにしたい。自分で自分を無価値にしたくない。伝えたいのは絵でも言葉でもない、見る人それぞれに異なる姿を現すアンサングな存在だから。それが人生だから。果てなき旅の足跡が作品ならば、それを採って見せびらかすのは滑稽極まりない。その足跡と重なる道連れが何処かにいるはず、互いに顔も声も知らないまま、既に出会っているかも知れない。それが芸術の、文学の、音楽の、あらゆる学びの可能性だと、私はふと気付かされました。

 

 

 私は本当に出会いには恵まれた身の上で、両親や学生時代の仲間たちのお陰で成熟した芸術や文学と出会いました。それらは絶えず遠眼鏡のようにキャンバスや活字の裏側に果てない景色を映し、バラバラになってしまった私達を何処かへ導く様でした。

 

 

 私の絵柄や文章など所詮、名もなきサブカルチャーに一括されて消費される儚いものかも知れない、いや消費すらされずに忘却の彼方へ葬られるだけかも知れない。それはそれで構わない、こんな場違いもいたなってくらいで。フォロワーを貪ってまで有名になりたくない、何も知らないくせに、何も知ろうともしないくせに「繋がった」と容易く舞い上がるアイツらみたいに。毒には毒で打ち勝つしかない、伝わるつもりで描くなら辞めちまえよ土手南瓜、ナルシスト、カニバリスト。自家中毒にでもならねば分からぬ愚かさめ。

 

 

「死ね」の一言で人を殺す。羊飼いを気取った彼も結局、羊だった。自分で貶めたそんな「文化」に貶められるのを笑ってやりたい、悲しさ余って泣けなくなるくらいに。

 

 

 そんな未来が来ないようにと、絵が嫌いな人間が絵を描いている。

祈りの一つは、孤独の内の対話だと私は思う。