大阪都構想の住民投票を固唾を飲んで見守っていました。私は名古屋市民なので直接の影響もなければ投票権のない立場ですが、とてもヒヤヒヤしました。私の住む名古屋市ではあいちトリエンナーレの助成金騒動を皮切りに大村知事リコールの街宣が今も轟き、何かの拍子で中京都構想が再燃するのではと気が気ではない状況です。大きな前例が出来て、それが名古屋にまで波及しないかと心配がありました。
辛くも都構想は否決され、大阪市は存続しました。市民によって市は守られたと喜びを伝える一方で、相変わらず低い投票率も事後的に報じられていました。冗談みたいな事態があちこちにのさばって、風が吹けば倒れてしまいそうなのが今の日本だと思います。大阪都構想の発起人、橋下徹元大阪市長は私が小学生の頃、タレント弁護士で子沢山の恐妻家で家庭的な人相をアピールしていましたが、私が中学校に入る頃には選挙権すら持たない子どもたちを泣かせる暴君でした。幼心にも許せない、世間の笑い者だと厭った男が独裁を声高に叫ぶ市長になり、今はワイドショーのご意見番として毎日の様にテレビに出ている。こんなのが当たり前に罷り通って、それを鵜呑みにする層も決して少なくないようです。
何かがおかしくなった、無関心と独裁で痛みを伴わず日本が壊死していると、日頃感じます。少なくとも私が大人の年齢に近づくに連れ、この国が良い方向へ向かった実感は一度もありませんでした。スマートフォンやSNS、ハードとソフトは目覚ましく発展しているのに決定的に何かが後退している。
それは自分で考え、自分で決めることだと私は思います。YESもNOも選ばなかったから、力のある方へどんどん流れてしまったのだと思います。安全な食べ物を選ぶ権利も、安全な場所で住む権利も、学ぶ権利も、個人の尊厳も、ここ数年でどれほど踏みにじられて来たのか。誰がそれを許してきたのか。誰がそれを見過ごしてきたのか。それを新自由主義だ資本主義だという人もいますが全く違う、何の理念もない怠惰だ。何も考えたくない、或いは黙って俺に従え、という事です。今日の夕食に何を食べようか、そんな単純な事柄さえフォロワーからアンケートを取らないと決められないのは笑い事ではありません。他人に決めてもらわないと何も出来ない、決められた事柄に胡坐をかいて、風向きが変わればあっさりそれを捨ててしまう人さえいる。これらはただ個人的な問題だからと見過ごして良いのでしょうか。
権力はもっと身近な場所で有り触れていると感じます。日本の殆どの若者が手にするSNSでも日夜、権力的なやり取りがなされているのを、私も目の当たりにしました。そこでは数の力で正否を強要したり、それによって他者をのっぺらぼうにして従えることも簡単に出来てしまいます。けれど虚実入り乱れた情報において、その全てが間違いだと私は思います。モザイク画の世界を針の穴から覗いて、たった一色を全体化するような事ですから。それぞれの色が太くて黒い仕切りに囲まれているのがSNSの世界。多様な考えが争わず、交わらず、大きな濁流になって全てを滞らせていく。それはとても危険な状態だと思います。「分裂させ、支配しよう(divide et impera)」というローマ帝国のスローガンがあるほどですから。
だからこそ多くの事柄に関心を持ち、繋がりを見付ける事が大切だと私は思います。境界線を越えること、それによって利害を越え、時や権力が移ろっても揺るがない絆が生まれると私は信じています。何かを決める時、この絆が羅針盤になるはずです。
私が高校を卒業した年は東日本大震災発生から一年後で、その時に訪れた宮城県七ヶ浜町の景色を未だに忘れられませんでした。新しい仲間たちと大学で学び、大好きなバンドと出会い、何かの気紛れで絵を描き、自転車一台で名古屋から白川郷まで三日間掛けてたどり着き、福祉の仕事と出会い、短いながら恋もして、一人暮らしをしながら絵を描き音楽を聴き色んな本を読みながら毎日を過ごしています。東日本大震災という経験がなければ、私のこれらの生い立ちはバラバラのままでした。目先の事柄に追われた自堕落な生活が今以上にあったと思います。名もなき先人たちが私の日々の隅々を守ってくれたのだと、実感しない日はありませんでした。だからこそ、次の世代にそれを手渡さないといけない。一代限りで終わらせてはいけない。
未だにどうすればそれを実現できるか分からず、私は迷ってばかりです。それでも立ち止まる事は出来なかったから、 ありのままをここに書いてみたくなりました。おかしいものはおかしい、当たり前のようにそう言える時代を取り戻したいのです。文字を綴る事も絵を描く事もきっと、そのために必要な事だから続いているのかも知れません。
友達もそんなにいないし、周りが話す流行りの事柄には付いていけない、大分損な生き方をしたと思われそうです。確かに毎日人恋しい、それでも私が私で居られることを捨ててまで安直な共感に染まりたくはなかった。そうした瞬間に七ヶ浜町の景色も、今まで描いてきた作品も全部嘘になって離れてしまいそうだったから、生きてきた時間が馬鹿らしくなってしまうから、あの絆に基づいてこれからも生き続けたい。優しさを忘れずに生きたい。
自分のことくらい自分で決めろよ。やらない理屈ばかり捏ねてんじゃないよ怠け者が。五月蠅えよ、たまには人の話くらい聞けよ。
誰かに言っているようで全部、自分に言っている。
コメントをお書きください