十月も暮れ、衣替えに間誤付いている間も待ったなしに寒が押し寄せて来ました。世間よりブームの到来が十週遅れた私は、森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』を読みながら腹の虫を鳴かせていました。意地悪な李白翁が各々の欲望に釣られた男たちに夏の真ん中に綿入れを着せ、天井に炬燵をぶら下げた部屋で激辛紅白鍋を食わせるという鬼畜極まりない宴会を敷いていたのでした。私は辛い物は得意ではないですが、肌寒い秋に熱々の鍋は何よりの至福でした。嗚呼、キムチ鍋が食べたい、一人寂しく大鍋を突こうかしら。
三・四人分のキムチ鍋スープの素に肉と野菜を買い込んで見ると、これが結構な量で流石にそれを一人では惨め過ぎたのでLINEで兄に誘いを入れました。そういえば『死役所』の十六巻を借りたままだったのでついでに返そうと、中々に一石二鳥でした。意外にも兄は快諾、というのも彼は我が道を行く類の人間で人からの誘いには消極的な場面が目立っていました。兄がやってくる前に米を炊き鍋を保温し、彼が座るであろう座席を少し手前に出し、靴が置けるように玄関周りも空けておきました。
兄がやってきました。例によって緑色の買い物袋を持っていて、沢山のアイスクリームと菓子パンを差し入れてくれました。そういえば兄とは離れて暮らしてから会う度にこんな気前の良い事をするようになったのだと頭が下がるばかりです。傍にいる時は互いの存在に何処か一目置いているだけでしたので。
二人分の白米をよそい、温めた鍋をダイニングテーブルの真ん中に置くと久しい兄との食事が始まりました。家族四人で暮らしていた時は父に似て食が細い方だと思っていましたが、それが食べる食べる。大きめに切った豆腐一丁もお玉のひと掬いで三分の一くらいさらってしまうほどでした。鍋を突きながら兄はケアマネの試験の進捗やヴォーカロイドのライブのチケットが当たったこと等を話してくれました。名古屋も新型コロナウイルスの渦中で、我々兄弟の職場でもその影響が随所に現れているようでした。私も兄も気が付けば三杯目、あれだけ盛りに盛った野菜も肉もほぼなくなり、殆ど汁だけになってしまいました。
食後は自分で買ったアイスを冷凍庫から取り出して食べながら、兄は私の自室の真ん中で座って辺りを見回していました。それから暫くすると「今度来る時は何か持って来いよ。」と言い残し、兄は帰っていきました。僅か四十分程の時間でしたが、食後のダイニングには鍋の匂いと人影の余韻が温かく残っていました。いつもより多い洗い物さえ、私には嬉しかった。
翌朝、というにはややお寝坊な時間に残りの汁でキムチうどんをこしらえ、久々に遠出でもしようかと考えていました。蒲郡で海を見るか、それとも犬山の明治村へ行こうか、そもそもバイクか車か等、相変わらずどうでも良い悩みで時間ばかりが過ぎて行きました。
とりあえず昼食の頃合いに間に合うように、自宅からそこそこ近い明治村を目指して車に乗り込みました。ちょうど通販で買ったばかりのCDも来たのでカーナビにセットしていた所、知り合いのおばさんが駐車場前の自販機から手を振っていました。このおばさんは私が引っ越してきて間もなくから知り合い、大家さんの手伝いで近辺の清掃や花壇の整備をされていて、お行儀の悪い住人のゴミ出しに憤慨、奮闘されています。ご近所付き合いを大切にされていて、事ある毎に「お茶しようか!」と自販機の飲み物を差し入れて下さりました。
それにしても、今日のお茶アピールはやや吸引力強め。一旦車を降りておばさんの元へ向かうと何時ものように一杯頂きました。頂いた紅茶を飲みながら例の住人のゴミ出しマナーの悪さを口にされ、ひと段落終えたところでモゾモゾっと本題が。
どうやら今日、お知り合いの方と寿司屋で昼食をする予定でしたが向かいの足がなく泣く泣く断ってきたばかりでしたが、ちょうど私が車に乗り込むのを見て、送迎ついでに昼食はいかが?という事でした。なるほど、どうりで吸引力強めだったのかと納得。いずれにせよ今から遠出するにも昼食が遅くなる不安もありましたし、灰色の微妙な空模様も相まって遠征ムードも削がれかかった所でした。たまには人助けもしないと、そのために免許を持っているのだろうと私は快諾しました。
おばさんの案内でやってきた待ち合わせ場所は仕事帰りによく通る古びた店の前でした。昔風情の呉服屋に居酒屋が隣接し、どうやらおばさんはその呉服屋の店長でした。停車して暫くすると上品に栗色のパーマの掛かった方とゆっくりした足取りの紫色の髪の方が横断歩道を渡って来て、私がそこにいる経緯を簡単に説明してから車に乗り込みました。三人の老淑女を乗せて発進。何の悪戯か中高年のマスコット・婆娑羅桜火、この至りであります。
お目当ての寿司屋は「にぎりの長次郎」という立派な店で、ここには以前釣り好きな友だちに誘われて一度行ったきりでしたが、一貫食べるごとに箸を止めて感想を述べたくなるほど美味しい店でした。こんな所でこんなお店にまたは入れるとは、本当に恐縮するばかりでした。
今回は三人が「彩」を、一人が「梅」というセットメニューを頼み、そこから各自の判断でビールと天ぷらも。それにしても、奇妙奇天烈な経緯でこの場に奇跡的に合流したそうでした。おばさんは昼食当日に足がない事に気付いて諦めかけた所に私が現れ、私がもしも新しいCDをカーナビで聴こうとしなかったらあっさりおばさんを見逃していたのでした。他のお二方についても目的地行きのバスのタイミングを奇跡的に逃してしまったという事で、本当に偶然に偶然が重なってこの宴会が出来上がったのでした。しかしまぁ、昨日は兄に鍋をご馳走して「たまには良い事も出来たな。」と思った矢先、丸ごとそれが自分に返って来るとは。巡り巡るものは本当にあるのだなと思うばかりでした。
おばさんと栗色パーマの老淑女は口も八丁手も八丁で、会話を盛り上げながらもあっという間にお皿も平らげていました。私も食欲に関してはやや人並み以上ですが、カタツムリの如く食べるのが遅く少食と勘違いされることもしばしば、勿論この場でも。一方紫色の老淑女は食は細い(お二方曰く、以前よりは食べる)もののビールを二本空ける程の酒飲みで、流石は居酒屋さんというものでした。お三方は隣接するお店の付き合いが三十年ほど前からあり、度々このような交流もあり見守り合う間柄だったそうです。古き良きご近所付き合いで、これが後におばさんと私が出会うきっかけになりました。
「良い人は良い人を招き寄せる」と度々口にされ、私をその内に含まれると何だか照れくささがありました。本当に四者四様で食べ方も飲み方も話題もバラバラでしたが、不思議と噛み合う宴会でした。思い思いのアクセサリーと呉服屋謹製の衣服を身に着け、四人はシャボン玉のようにふんわりと包まれていました。求め合わず自然と引き合ったようなこの時間は何時振りだったのでしょうか。
今は新型コロナウイルスの影響で人と人との距離が離れてしまっていますが、それ以前からあった隔たりが浮き彫りになった様な気がしました。SNSの発達でお好みの友達やコミュニティを選択出来るように見えましたが、深い関わりに至るものは少ないのではないのでしょうか。お好みを選択するという事は相手に対して常に期待を強いている訳ですし、そこから必然的に失望や裏切りだって現れます。その考え方自体が幻想だと私は常々思っています。人間関係さえも標準化され、消費されていく世の中で大切なのは、こうした偶然が織りなす出会いだと一層強く感じました。犬も歩けば棒に、それも悪くはないなと。
縁もたけなわに、奇妙奇天烈な宴会もあっという間でした。お三方をそれぞれの場所へお送りし、私は目的もないまま曇天の街を無心に駆け抜けて行きました。
そういえばおばさん、コーヒー忘れて行ったな。ダッシュボード下のポケットに、エスプレッソの缶がポツンと横たわっていました。
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