お久しぶりです、或いは初めまして、婆娑羅桜火(バサラオウカ)と申します。いいねやリツイート、或いは通りすがり等の形で私の作品に目を留めて下さり、有り難うございます。
今後ともこの様な機会がある事を願い、改めてご挨拶と自己紹介を兼ねてお話をしたいと思います。というのも、ここで書く事柄が私の作風、ひいては生活観に関わるため、それらの間にある幾らかの線引きを薄めていきたい意図があります。詳しくは以下に続きます。
しがない絵描きの一人として、ハッシュタグを介して私を認識して下さっているかと思いますが、本音としては「婆娑羅桜火=絵描き」と総括されるのには多少の心苦しさがあります。
会話のフック(引っ掛かり)を作るためにそう名乗る事もありますが、私は知的障がい者のグループホームで勤務する世話人でもあり、日本のロックミュージックを愛するリスナーでもあり、読書家でもあり、ロストジェネレーション2世とでも言うべき世代でもあります。一ヶ所に縛り付ける事で他の要素が遮断されたり、「◯◯らしく振る舞え!」と言論が萎縮することを避けたいのです。こうしたスティグマタイズは今や世の中に蔓延り、様々な棲み分けがされていると思いますが、それは良くないと思います。
数学的な秩序から美術を、科学的解剖から未知数的な要素(それを神と呼ぶ人もいます)を発見する事もあります。文学から音楽を、音楽から文学を見付ける人もいます。じっさい私は絵描きを覚えるまでは合唱をしておりまして、今でもイラストや写真よりも音楽からインスピレーションを得ることが多いです。音楽では叶えられなかった表現への憧れを、真っ白な紙と鉛筆・色鉛筆で奏でたい、出来れば詞も付けてみたい、それが私の絵描きとしてのスタイルです。描くという行為には音楽や仕事、文学、他愛もない日常や政治も陸続きになっています。
古来より文学も絵画も音楽も芸能も多分に「政治的」と呼ばれる要素が含まれていましたし、それも引っ括めて生きた証を残したい、という認識が当時は当たり前だったと思います。しかし今日では個々の分野でバラバラになり「餅は餅屋」と言わんばかりの状況になってしまいました。それぞれの「専門性」に閉じ籠ってインテリを名乗り、何かを超越したように思い込む人さえ現れますが、こうした分裂によって争いが生まれます。争うことで排除や搾取が行われます。芸術が権力を持ってはいけないと私が考える理由は、そこにあります。
私自身もどう名乗って渡り歩けばよいのか、未だに問答の最中です。絵描きを名乗って周りと同じハッシュタグで作品を並べてみても、どうにも居心地が悪い、狭苦しささえ感じました。作品を見てもらいたいという根本は同じはずなのに、何かが噛み合わない。
そもそも私にとって作品は結果の一つであって、それ自体が目的ではないと思っています。日記を書くためにネタ探しな生活をするのか、生活の過程で日記が生まれるのかという違いで、私の場合は後者にあたります。私の肌感覚では絵を描くという行為の大半は前者にあたる様な気がしますが、それが私の感じた狭苦しさの正体かも知れません。私は日本のロックミュージック、特にパンクやオルタナティブが大好きですが、こうしたジャンルが市民権を得るほどにロックミュージックから文学や哲学、人生観を傾聴するリスナーもいますしその反動で「商業ロック」と揶揄される音楽もあります。どれが好みかは人それぞれで、気晴らしに軽く摘まむような音楽があっても良いと思っています。
今日ではデジタル環境の充実や(デジタル・アナログ問わず)画材の発展で多くの人が絵を描いて気軽に発信したり交流したりが出来るようになりました。けれどそれらの殆どは出来上がった作品にしか関心がなく、作者自身には殆ど目を向けられていないような気がしました。まるで作品が自然発生して何の意思も持たないように扱われるか、商業的で本能的・短絡的な刺激を消費するための手段か、数値としての評価を得るための手段として扱われているのが殆どの様でした。そこに私の作品が当てはめられてしまうのに恐怖さえありました。これだけ絵を描く人が増えた(或いは目立った)のに、消費という概念に囚われているのは時代の至りなのかも知れません。絵を描くという行為がロックミュージックほどに成熟していないのか、いいや、そうではない。消費社会の中で歴史的な成熟・思想が排斥されてしまった、のっぺらぼうにされてしまったのだと私は思います。
百万人が一度だけ見て、明日には忘れ去られる作品が沢山あるかも知れません。勿論私の作品だってそうだと思います。その在り方に私は逆らいたい、消費されたくない。一度きりの人生に一度きりの作品なのだから、ずっと残って欲しい。一度きりだから目一杯の愛情を注いで綺麗な花飾りを纏わせて分かち合いたい。本来は文学も芸術も音楽もメロウでパンクでオルタナティブだった、だから私はメロウでパンクでオルタナティブな絵を取り戻したい。
繋がらないこともある、けれど先ずは作品を通して話したい。それが私が絵を描く、一番大切な理由です。絵描きとして、ミュージックリスナーとして、読書家として、市井を生きる一人として願う事です。
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