暫くぶりの連休、この日は生憎の雨。晴耕雨読という古い言葉がありますが現代人にとっては何をするにも雨天は厄介で、溜まりに溜まった洗濯物の行き場や低気圧から来る頭痛に悩まされる人もいるでしょう。ところが私は雨天時ほど外出意欲に駆られる天邪鬼で「雨など降るもをかし」と柔和な言葉にパンキッシュ精神とエンジンキーを丸め込み、ハンドルを握るのでした。行き先は豊田市足助町の香嵐渓。私の家から車で1時間ちょっとで、近くもなく遠くもない程よい距離感から度々行きたくなる場所の一つです。
言わずと知れた紅葉の名所・香嵐渓。10月初旬は完全なオフピークで、こんな時期にわざわざ足を運ぶのは私だけだったようでした。商店通りもシャッターでガラガラ、窓から覗く店内は灰色で調理用の設備が黙々と鎮座しているだけでした。こんなご時世ゆえ、私が遠方の人間だとしたら無駄足だったとげんなりしてトボトボと踵を返していたでしょう。けれど閑散とした名所を独り占め出来るのは地元の方々や私のような近辺住民に許された特権で、砂利道を踏みしめながらブツブツと半熟な詩情を口ずさむのが楽しみでした。それにしても手ぶらで帰るのはちょっと勿体ない、何か店の一つでもやっていないかしらと通りを過ぎ、遊歩道の中腹辺りにある広場へ向かいました。
三州足助屋敷。炭焼きや手織物、紙漉きや木工などの伝統工芸といった「消えゆく技術」を後世へ残すのを目的とした屋外型博物施設で、そこでのものづくりを実際に体験することもできます。
取り敢えずは一服と、入場券売り場のすぐ右手にある喫茶店へ入り、抹茶と小豆のパフェとホットコーヒーを注文。すると店員さんから足助屋敷へ入場するとコーヒー代の割り引きが出来ると伝えられ、折角なのでコーヒーブレイクの前に足助屋敷を散策することにしました。
入場券を買って門をくぐった正面にはつるべを提げた井戸があり、実際に水汲みを体験することが出来ます。井戸の右手には牛車が、左手にはわら細工と機織りの小さな工房。牛車からは右の角の折れた真っ黒な牛が時折鳴いていて、機織り工場と向かい合わせになった小さな鶏舎では鶏がじっと香箱座りをしていました。さらに奥には水車があり、それを動力に精米や製糸をされていたとか。電力やガソリンのない時代の、天然のエンジンの逞しい旋回ぶりに息を呑むばかりでした。
水車小屋をさらに奥へと進むと紙漉き工房に藍染工房、屋外型の炭焼き窯、職人たちが一つ一つ手作業で編み上げた籠や織物、木工細工が陳列・販売され、その美しさと緻密さは工業製品にはない魅力に溢れていました。
止まない雨足の中で一通り他の工房を回ってから向かったのは、桶屋と傘屋の工房のある二階建ての建物でした。鉋(かんな)で滑らかに木材を均すバンダナを巻いたご主人から気さくに挨拶をされ、雨の肌寒さが一瞬和らいだ心地でした。名古屋出身で度々ここを訪れていると話すと、堰を切ったように話の花が咲き始めました。
私は生まれも育ちも名古屋の郊外で、小さい頃は年に二回ほど祖父母の家へ行く時以外は村の生活を知らずに育ってきました。それでも何故か、今まで使った事すらない桶や手張りの傘を見ると懐かしさを感じていました。一種の帰郷のような気持ちでここを訪れていたことを桶屋のご主人に話しました。
そもそも日本の木工史の中で桶作りは最も歴史の浅いながらも、今日まで700年間受け継がれてきた伝統工芸だ、とご主人は言いました。井戸のつるべの桶で汲んだ水を取っ手付きの桶に移し替え、それを洗い物や炊飯に使っていたそうです。その水で炊いた熱々のごはんを盛り込む「おひつ」に洗濯桶、身体を洗い流す風呂桶にゆったりと体を浸す風呂釜も樽大の大きな桶でした。それどころか生まれた赤子と産湯を受ける桶もあり、かつての日本人の生活のあらゆる場面で幾つもの桶が使われてきたといいます。桶は複数枚の板を寄り合わせ、環状になるようにそれぞれの接合面を均して接着剤で仮止めし、さらに表面を均してより滑らかな形に仕上げ、底をはめて箍(たが)で締め上げます。僅か数本の屈強な箍が強力に板を引き締め、水の一滴も溢さない桶を成している。「箍が外れる」という慣用句があるほど、桶は身近な存在でした。それらの桶は産業の発展に伴って大半は姿を消し、より利便的で安価なものにとって代わることになりました。
「5人のうち1人も必要としないとしても、桶が無くなったら寂しい人もいる。」「年に一度のちらし寿司くらいは、木のおひつを使って欲しい。」と、桶に対するご主人の想いがありました。木の桶など一度も使ったことのない私の感じた懐かしさも、その中にあったようでした。遠い昔、私たちの祖先は桶の中で産湯につかって生まれてきたのを記憶していたような、言葉や感触を超えた絆がそこにあったようでした。
21世紀はスピードと利便性の時代で、私自身も物心が付いた頃からCRTのパソコンモニターがあって、カセットテープやレコードがCDやMDに主役交代する真っ只中でした。いわゆるデジタルネイティブがこれからの時代を牽引することは間違いない。それでもどこか、寂しさがありました。デジタル上の情報はどんなに時間を経ても劣化せずそのままの形で残り続け、永遠の命を得たように感じてしまいますが、それらを収める媒体(ハードディスクやSDカード、サーバー)が果ててしまえば、跡形もなく消え去ってしまいます。筆跡も痕跡も何も残らず真っさらに。それで良いのか、私たちは。
桶を必要としない時代に桶を作る意味は、歴史を絶やさないという安易な表現には収まらない気がしました。高くそびえるよりも深く根を張るように、私たちのアイデンティティを、帰る故郷を残すため、それは引き継がれているのだと。故郷は技の中に、想いの中にあるのだと。色褪せて風化していくけれど、確かな実体と軌跡がこの桶にはあった。紙の上で絵を描くのと同じ感覚がそこにはありました。上手く言葉には表せませんけれど、紙が黒く滲むほど拘って描き直した線画の跡だったり、涙ぐみながら歯を食いしばって塗り潰したあの夕陽の紅だったり、作品に触れただけで全てを鮮明に思い出すのは、この小さな桶と同じなのだと。爆発的な発信力は無くても必死に生にしがみ付く強かさがそこにはあった、叫んでいた。
あの桶を私の手元に置く日が来るかは分からない。例えそんな日が来なくても、豊田の足助の片隅でまた会える日を願う。宴もたけなわにご主人と桶にしばしの別れを告げ、その場を後にしました。
そろそろ喫茶店に戻ろうと思った頃、先の店員さんが私をわざわざ呼びに門前から駆け出してきました。ラストオーダー終了の時刻が間もなく迫っていたのをすっかり忘れていました。閉店30分前のレジでコーヒーの割引チケットを差し出し、貸し切りのテラス席で川のせせらぎを聞きながら、ご主人との会話を深々と振り返りながら、自家焙煎の香ばしいコーヒーとスイーツを嗜む。細やかで贅沢なひと時でした。
カウンターの返却口にお盆を置き、旅の土産に自家焙煎のコーヒーを購入。紙袋入りの5パック600円か箱入りの8パック1000円かで迷い、花より団子の私は紙袋入りの5パックを2つ購入。店を出る間際に店員さんにご主人との会話について話すと「話し始めたら長いからね。」とやや呆れ調子。小さな村というだけあって、彼らとの密接な暮らしがあるのを実感。きっと鬱陶しい毎日なんだろうと、それが私には少し羨ましかった。
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