鬼が哭いた。

「妖怪のせい」というフレーズが今でも通用するかは分かりませんが、日本には妖怪信仰という目に見えない「霊」に対する畏れの文化があります。霊は何処にでもいて、それは太陽のように微笑み、大地震のように怒りに身を震わせるといいます。霊は私たちの言葉と表現を超えた、禍々しくも恐ろしく、そして美しくも優しい、捉え処のない存在であるとされ、しかしながら何かの意図をもってうごめくそれをユーモラスに描いたのが妖怪と呼ばれる写し身だといいます。

 

 

 いま世界は新型コロナウイルスという前代未聞の脅威に晒され、夥しい人々の命が失われ、病に苦しめられています。経済活動は滞り、人々は散り散りになり、かつて謳歌した日常は何処へ行ってしまったのか、終わりの見えない災禍に無力さと燻ぶりを感じずにはいられませんでした。

 

 

 それに、恐ろしいのは新型コロナウイルスだけではありません。身近な場所で人が人を裁き、匿名の言葉によって若い尊い命が奪われる悲劇が相次ぎました。掛け替えのない命を、他のものと天秤に掛け取捨択一を迫る恐ろしい時代になってしまいました。脅迫的な自粛・自衛の裏で声を奪われ、命を奪われ、感染者も死者も単なる不都合な指標でしかなく、知らずの内にそれに一喜一憂していた自分に恐ろしくなりました。

 

 

 その中での制作は困難を極めました。これ以上にない悲劇がこれでもかと押し寄せてきて、いちいちを取り上げて描くことも、それに答えを出すことも能わないのですから。東日本大震災が起きた時以上の無力さに苛まれることを、夢にも思っていませんでした。

 

 

 さて前置きが長くなりましたが、新作"-amabie / 桜の挽歌-"が完成しました。

 作品解説にもある通り本作は『#アマビエチャレンジ』に端を発した制作ですが、私には「疫病退散!」という姿勢で描く意気にはなれませんでした。もちろん一日でも早く新型コロナウイルスを思わずに過ごせる日常に戻って欲しいです。けれどもその前にやらなければならないことが山積みだと、私は思うのです。

 

 

 そもそも『#アマビエチャレンジ』を始める上で、妖怪伝承という日本の文化について考えさせられました。前触れにもあった霊についてで、人々は見えない力への畏敬の念を伝えるために妖怪という姿を与え、他の人々と共有していきました。「あの沼地には河童がいるぞ」「人を食らうと鬼になるぞ」といったのも、妖怪伝承の一例です。石碑や瓦版に描かれた冷たい活字の事実では今一つピンと来ない出来事も、このような滑稽な語りにすることで多くの人々の心を掴み、それぞれの想像を働かせることにも一躍買っています。

 

 

 要するに大切なのは伝承と、想像です。

本作もまた妖怪アマビエが豊穣の後の災厄を口伝てし「我が姿を描き写し、早々に人に見せよ。」と発したという伝承に則ったもので、先ずは私の思うアマビエ像の模索から始まりました。

 

 

 言葉を話す魚、いや鳥か、を目撃すればさぞや身の毛もよだつだろう。暗闇にも映える怪しげでおぞましい色合いに違いない。アマビエ自身が災厄を起こすわけでも、救済をもたらすわけでもない、ただありのままの未来を伝える不吉な存在を全うしているなら、何を思うのか。そもそも妖怪に私のような分かりやすい感情なんてないのかも知れない。けれどもし私がアマビエだとしたら、どうしようもなく泣き崩れてしまうだろう。他にできることは何もないのだから、『みなまた海のこえ』の妖怪たちでさえ悲しむのだから。

 

 

 結局分かったことは、妖怪はそれを描く側の写し身でもあったという事でした。何かを恐れ、何かを伝える、それが妖怪の本質だと。

 

 

 これが私自身のアマビエですが、題名が敢えて"amabie"と普通名詞になっているのは、人の数だけアマビエがいて、「疫病退散」という新たな役割を担い固定化され、そして消費されるアマビエはもはや特別な存在ではなくなったという世相を端的に表すためでした。

 

 

 故にアマビエに、私の言葉を語らせるわけにはいきませんでした。私自身の言葉は桜火に委ねる事にしました。死の原因は幾つあっても、死そのものは一つしかありません。平等で重くて、痛くて、これ以上になく取り返しのつかないこと。こんな説明をいちいちしなければならないのが悲しいです。生も死も、それだけ安易に踏みつぶされている世の中を認めるようで。

 

 

 ただ無言で、祈るだけです。

生きるのが辛い、死へ逃げるような生き方があっても、生きたくても叶わず死を迎えたとしても、その命に価値があることを。

全ての命に、尊厳と追悼を。