蛹。

 こんばんわ、婆娑羅です。

今年は異例の猛暑でまだまだ危険な暑さが続いていますが、お元気でしょうか?先日は僕の友達が軽度の熱中症で救急搬送され、グループLINEでもちょっとした騒ぎがありました。友達ばかりではなく我が家も、この猛暑に苛まれることになりました。

 

 

 豊田に住む父方の祖母が熱中症で倒れ、入院の後間もなく退院してから何やら様子がおかしい、と連絡があり、父はそれを期に実家へ帰ることとなりました。ペットのミニチュアダックスフント、モカも祖父母の実家に移り住み、慣れない広い家の中では「借りてきた犬」になったとか。

 

 

 父とモカが名古屋を発ってから、名古屋では僕と兄と母の三人で暮らしています。普段は無口な父なのに、そばにいないだけで一層静かで寂しさも漂う。寂しがり屋で夜中に吠えては散々家族を悩ませた、モカもいない。

 

 

ーお母さんはきっと、お父さんのことが好きだったかも知れない。

 

 

 そう母が呟きました。音の数だけ、そこに誰かがいたことを痛感させられました。

 

 

 それと同時期に僕は4年間お世話になったアルバイトを辞め、知的・精神障がい者の働く作業所での生活支援員としての毎日が始まりました。職員さんも利用者さんも全くの初対面で、職場環境の急変化に今はただ狼狽するばかりです。

 

 

 心の拠り所とは何だったのか。色んなものが一度に遠ざかって、無意識にも考えさせられます。ただ毎日そばにいる人、心を開いて何でも話せる場所。同じ時間を生きることはこんなに尊かったのか、今までずっと気付かず見過ごしていた。

 

 

 芋虫が蛹になる時、脳も含めた臓器をすべて泥々に溶かして成虫の形に再構成されるといいます。その論理では芋虫だった時の記憶さえ、跡形もなく忘れ去られているとか。

 

 

 もちろん僕は蛹にはなれません。けれど病や死別、旅立ちのような節目を迎えて僕らは何度も、庵を失ったり住み替えたりしながら生きているのだと、うっすら予感させられました。2・3年後の僕はどこにいて、何をして、何を考えているのか、本当に想像もつかないです。

 

 

 上書きする毎日が今日という日を薄めても、きっとどこかに痕が残る。青あざのような失敗も、栞を挟んだ想い出も、たまたま思い出した他愛もない日も、明日へと続いていく。僕が愛した人、僕を愛してくれた人の顔も、きっとその中に。

 

 

 気の遠くなるような蛹の毎日が、蝶になるか、蛾になるかは分からない。それでも羽ばたくように自由になって、忘らじの言葉を告げる時を、ずっと願ってやみません。