6年間の大学生活・完

 2018年、あっという間に2月にですね(´・ω・`)

公私ともども多忙のためご無沙汰しました、婆娑羅です(汗)

色々と状況が落ち着きましたので、幾つか近況報告をさせて頂きます!!

 

 

 えぇと先ず・・、やっとスマホに乗り換えました( ̄▽ ̄;)

僕は2012年に大学生になってから初めて携帯電話を持ちましたが、ガラケーから

スマホへの転換期真っ只中にガラケーを選ぶという天邪鬼でした。

いやぁ6年間、落としたりなんやらしたりしてあちこちダメにしながら

こき使いましたがよく頑張った、褒めてつかわす・・。

携帯についてはヘビーユーザーではありませんでしたが、友達や学生たちの

主な連絡手段がLINETwitterのようなSNSに変わったため、

流石にガラケーでは相対的な不便を感じました(ーー;)

文字通り、連絡に関しては陸の孤島、ガラパゴス状態・・。

 

 

 さてスマホに乗り換えて2週間が経ちましたが、LINEというものを

覚えてから恐ろしく連絡が快適になりました(´・ω・`)

まぁ快適さの裏返しというべきか、通知の多さには随分急かされました(汗)

高校時代の部活仲間から5年ぶりに友達登録が来た時は本当に驚きましたけれど、

お陰でお互いの近況を確認できて安心しました(^^)

いつか彼らとは、食事でもしながら当時の思い出でも振り返ってみたいですね~。

 

 

 

 

 

 さて本題ですが、大学生活6年目にしてやっと卒業にこぎ着きました(^_^;)

大学院ではなく、普通に大学でした・・(汗)

それまでの間、両親を始め色んな人たちのご厄介にはなりましたけど、

卒業論文も含めとても実りのある学生生活を全うすることが出来ました。

僕の両親と友達、そして教授たちには心より感謝していますm(_ _)m

 

 

 言い訳も込みになりますが、学生生活が長引いた経緯がありました。

僕は何の動機もなく名古屋にある某私立大学の経営学部生として入学しましたが、

統計学をはじめ数学が大の苦手でした(T_T) 

数学がネックだったために単位を何度か落としましたし、今でもそうですが

数学的な思考とはどうしても反りが合わない所が僕にはありました。

 

 

 もう一つは経営学部という学部の雰囲気への不満で、教授や学生たちの一部では

企業や経済への利益のために人間性をかなぐり捨てた考えを持つ人がいたり、

ディベートでお互いの考えを否定し合ったりするやり方に不満がありました。

色々な考えの中で色々な人が生きている中、正しさを比べ合って潰し合う、

人格否定にも近いその現場には目を覆いたくもなりました。

今でも忘れられないのは、某大企業での過労自殺事件について「長時間労働に

耐えられなかった人が悪い」と言い放った教授がいたことで、

講義用ノートの隅に「もしも自殺した人がアンタの娘さんだとしても、

同じことが言えるのか?」というなぶり書きをしたのも思い出しました(ーー;)

 

 

 こうした僕自身の不得意や学部との不和を理由に3年生の頃、

人文学部への転部試験を受けましたが転部試験は狭き門で、

毎年若干名ほどしか募集をしていなかったため、

僕も見事ふるい落としに掛けられました・・。

そして3年生の時期は学校によって差異はありますが少なくとも

僕の学校では殆どの学生がゼミに入ります。

が、僕に関してはゼミに必要な必修単位が三年生の時点で

足りなかったため、2年間の留年が確定しました(T_T)

 

 

 

 

 

 最後の希望の転部という選択はもう使えなかったため、

僕は経営学部に残ることとなりました。

そこでジタバタと数学や統計学といった苦手分野に取り組んだ結果、

芳しい成績ではありませんでしたが無事に単位を取りました(^^)

 

 

 苦手分野の克服という課題を一応クリアし、残るは

経営学部での学びを自分が納得できる形でどう受け止めていくかという問題でした。

皆より2年遅れでゼミに入った時、僕は原発問題や憲法の問題について

興味があり、これらの興味をいかに経営学部的な切り口で発展させていくか、

と先ずは考えるようになりました。

それから僕は趣味として続けている絵を、何か公の活動として役立てたいと

同時期に考えるようになり、その中でどのように人やお金と関わっていくか、

という視点を持つようになりました。

 

 

 これらの興味に対してどのような形で経営学的なアプローチを

出来たかはなかなか一口には言い表せません。

ただ一つ言えるのが、経済のあり方、企業のあり方、個人の買い物も

含めた経済活動のあり方、趣味のあり方、芸術のあり方、こうした全ての

選択肢において必要なのが人間への愛である、ということでした。

隣人を愛し、自分を労わり、他者への想像力を絶え間なく働かせることが

世界中に溢れた問題を解決できる、地道で唯一の方法だと確信しています。

その中で僕自身の得意不得意や挫折、他者との違いや劣等感さえも、

輝かしい価値になりうると、気付かされました。

 

 

 

 

 

 もしも僕が何の困難もなく4年間で大学を卒業していたら、

このような考えには至りませんでした。

大学内外の友達や親身になって助言をしてくださった教授たち、

そして帰る我が家をずっと支えてくれた両親、彼らのお陰で僕は

希望を持って大学を卒業することが出来ました。

 

 

 もしかしたら「お前は世間を何も知らない」と冷たく囁いてくる人も

現れるかも知れません、「夢想家」だとは何度も言われ続けました。

それでも僕には、諦められない夢があります。

その夢を叶えるためにもこれから一足遅れた就職活動に臨もうと思います。

 

 

 僕の思う夢とは、何かの職業を得たり具体的な目標を達成させたり

というような具体的な言葉では中々言い表せないものがあります。

けれどそれを敢えて言葉にするなら、僕の持つ全てを僕の周りの人々を

愛するために捧げたいという願いです。

仕事の選択も、友達との何気ないやり取りも、絵を描くことも、

好きな音楽も、この願いへと続くようにと、いつも祈っています。

 

 

 僕はいま24歳、「いわゆる」社会人一歩手前の赤ん坊のような存在です。

何を言っても誰の心にも響かないかも知れませんが、未来の自分に向けて、

この想いを忘れずに、短くも長い人生を全うしていきたいです。

 

 

 諦めなければ何とでもなる、何があっても

なったらなったでやって行けば良いさ。

世界の全人類が君を見捨てても、僕だけは絶対に見捨てないから。