志賀直哉の短編小説『城崎にて』を思い出します。
電車の事故からの療養中の作者は様々な死と出会い、自らを省みる。
静かに横たわるハチの死骸、喉に串を刺され石を投げつけられるネズミ、
たまたま投げた小石に当たって死んでしまったイモリ、
そして不幸中の幸いで生き延びた作者。
僕たちの命はいつか必ず、終わりを迎える。
時々忘れてしまう、そんな命の在り方を静かに考える時がありました。
けれど、その答えはとても単純で、有り触れたものだと、今は思います。
12月7日、僕のアルバイト先で研修などでお世話になった方が亡くなりました。
僕より4つ上で28歳、あまりにも早過ぎる死でした。
介助の引継ぎの際、コーディネーターから訃報を告げられた時、
僕はただ立ち尽くすだけでした。
今年は僕の周りで、色んな人たちが亡くなりました。
入浴介助の時にいつも僕の名前を呼んでくれた、顔見知りのMさん。
夏の半ば、最期をきっかけに初めて知った父方の祖父の弟の顔。
僕が生まれる前からずっと、僕を愛してくれたおばあさん。
そして一緒に働いて、頻繁に連絡もしていた若い介助者さん。
後悔しようと思えば幾らでも出来るくらい、今になって未練がこみ上げてきました。
仕事の関係よりもまず、一人の人間として彼ともっと話したかった。
お互いに知らないことが多すぎた、それも全て、今は思い出です。
活字の上だけで知った事実に、何の実感も湧かないまま
今日はお通夜、彼の眠る葬儀会館へと車を飛ばしました。
今年二度目の黒ネクタイに、蟠りを隠せません。
芳名簿に名前を書き、会場に入ると彼が生前好きだった某アイドル集団の
音楽が静かに流れていて、厳粛な雰囲気に混ざりきらない奇妙な居心地がありました。
お棺の前の四列ほどの席がご遺族の方々で、その後ろの7・8列ほどが一般の席。
後方の席の殆どが同じ職場で働いていた介助者さんたちと、同じく働き手であり
グループホームの利用者さんでもある知的障害のある人たちで埋め尽くされました。
式開始前にも続々と参列者が現れ席が足りず、慌てて追加分を置く会館の職員さん。
狭い会場は文字通りのすし詰め状態でした。
僕自身が介助に携わらなかったものの、同じ名前という利用で仲良しになった
利用者さんも参列していました。
黒ネクタイもしっかりと、普段は陽気な彼の大人の装いに驚かされてしまいました。
いつもの軽快な挨拶から二つほどトーンを落とし、彼もまた、厳粛さを守ろうと
努めていることが伝わってきました。
流れるような速度でお通夜が始まり、あっという間に焼香が終わりました。
喪主を務められたのは、彼のお父様でした。
僕はそこで、彼が次男であることを初めて知りました。
若さが佳境へと差し掛かり、生きたいと彼は強く願っていた。
そう信じて止まなかったお父様の悔しさに、ただ胸が痛かった。
独身の僕にはまだ分からない、けれど我が子の喪主を
務める辛さは、並大抵のものじゃないはず。
仲間たちを愛し、仲間たちからも愛された彼を忘れないで欲しい、
お父様の切実な願いをもって、閉式を迎えました。
彼との対面は今日が最後、会館の職員さんがそう告げた後、
ゆっくりとお棺が降ろされました。
彼とともに働いた介助者さん、一緒に暮らし、彼が介助に携わった利用者さん。
個性的な皆は、それぞれどんな想いで彼を見つめていたのでしょうか。
30年間務めたある人は、ただ涙を拭いながら彼の前から離れませんでした。
彼からの研修のもと、一緒に入浴介助をした利用者さんは相変わらずの装いでした。
新聞紙が大好きで、お棺に敷かれた某アイドルの新聞を手繰り寄せたり。
利用者さん自身が書いた絵を、餞のつもりか彼にポンと投げたりもしました。
忘れられなかったのは、彼と同じグループホームに住んでいた
ある女性の利用者さんでした。
彼女はいつも人の行先に興味を示し、僕がほかの利用者さんを送迎や余暇で
外へ連れて行こうとした時も「どこに行くの?」と、困るくらいに聞いてきました。
その彼女は誰よりも、彼のお棺の前に長く立ち尽くしていました。
何度も何度も、周りの人に、いつもの声の調子で、聞いていました。
「どこへ行っちゃうの?」
僕もそう聞かれて、けれど言葉には言えませんでした。
純粋な彼女を、傷付けたくなかったから。
けれど僕には何となく分かります。
彼女もまた、彼をずっと愛していたことを。
泣いている人もいた、いつもどおりの表情の人もいた、
ずっとお棺の前で立ち尽くす人もいた。
彼らはそれぞれの方法で、彼に想いを伝えようとしたんだなと、
ただ忘れられませんでした。
「お世話になりました、今まで有難うございました」
僕はただ、不器用な言葉を残すだけでした。
いつか死んでしまう僕らは、何のために生きているのか。
騒がしさと憂鬱の中で、それを忘れることがありました。
けれど僕の目の前で旅立った人たちが教えてくれた、
その答えはとても単純だと思います。
僕たちは死ぬ時、全てを手放します。
何もあの世には持ち込めない、黄金も食物も例外なく。
けれど彼らの死を悼み、悲しみ、今も名前を呼び続ける人がいる。
彼らが愛した人たちが、彼らを愛した人たちが、一つの場所に集まっている。
きっとそれが、答えだと思います。
愛だけが、ここに残った。
命が尽きてなお、愛した人の名前を誰かが呼び続ける。
彼らの人生は、愛そのものだった。
理解なんてしなくてもいい。
真実そのものに対して、これ以上に証明できるものは、ないのですから。
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