こんばんわ、久しぶりの更新となります!
日常では色々あって落ち込んだり立ち止まったりしながらも、
大切な仲間たちのお陰で少しずつ、忘れていた多くを取り戻す事が出来ました。
色々な出来事がありましたが、その中で絵描きとして大変嬉しい経験がありました。
熱が冷める前にと、いまはキーボードを叩いています。
今日までの三日間、僕が通う大学で学祭が開かれました。
僕たちのいるサークル(有志団体)では毎年、近年の社会問題についてや
人間の尊厳を守るために活躍した人々を紹介する展示会と、中南米の子どもたちへの
教育支援を目的としたバザーと無添加パンのカフェを開催しています。
僕たちの生きる世界には衣食住にさえ在りつけない程に貧困した国と、
巨大な土地と富を持ち、死ぬ程食べる事ができる国があります。
しかし地球には本来、第二・第三世界があるはずではありません。
不正と暴力による不平等が、今日のような状況を作ってしまった。
それに対する無関心や権力への執着、自己利益の正当化、そして暴力が
結局、歴史の中では何度も繰り返されました。
答えは一つしかないと、僕は思います。
それは自分が持てる時間や僅かなお金やモノ、全てを他者と分かち合うこと。
生きる権利は人間の絶対不可侵の権利だから、皆が支え合い助け合い、
分かち合っていく義務があります。
例え生まれながらのお金持ちがいたとしても、持てるものを少しでも
分かち合えるなら、富は神様からの贈り物になるでしょう。
今年の学祭で僕は、このような多くのことを学びました。
そして同じブースにあるバザーで初めて、手作りのキーホルダーを出品しました。
ポストカード企画とオフ会以外の場で、僕の絵を公に運ぶのは今回が初めてでした。
このバザーでの収益は全て中南米への教育支援として寄付され、
僕たちの手元にお金は入りません。
その中でも仲間たちは、方々から良質な多くの衣類やアクセサリー、
雑貨を持ち寄りました。
持てるものを分かち合うという、愛ある目的のために彼らとはよく働きました。
それでも僕はこの仕事に関わる前、少しの不安がありました。
自分の作品に値段を付けて売って良いのか、ということでした。
多少なりとも値段を付けることで、その作品に対する価値を自分勝手に定めて
しまうのではないか、それは見る人が決めるべきではないか、という不安でした。
世の中には絵を描くことは「紙の上のスポーツ」だと主張する絵描きさんも
いて、高額な取引を正当化されることがあります。
僕にはそれが、受け入れられなかったのです。
けれどこのバザーは自分のポケットを膨らませるためではなく、
遠い国の子どもたちを支援することが目的です。
そう考えると、僕は謙虚でいたつもりが自分の価値観に
しがみついたまま動こうとしない、寧ろ傲慢な態度だったと思います。
なので今日は、僕のそんなちっぽけな殻を破りたい。
大学ということでお金の悩みの多い学生もいるはず、そこでまず原価を配慮しながら
コミケ等での相場からお手頃価格での販売を決定しました。
展示もバザーもカフェも、休日を中心に大賑わいでした。
学生や社会人、子供連れのお客さんも大勢いて、
展示に対してとても興味を示す人も多かったです。
バザーの方も順調で、日用品や衣類、僕には使い方が分からないような
雑貨までも飛ぶように売れました。
一方僕のキーホルダーは買わないまでも数秒間、年齢層に関わらず
目を留めてくれる人が沢山いたことに驚き、とても嬉しかったです。
ある親子がやってきて、男の子は僕のキーホルダーを持って親に
せがみ、めでたくお買い上げになりました。
ある中学生の女の子は、オーバーオール姿で手紙を差し出すアインを
「可愛い!」と褒めながら会計に足を運んでくれました。
同じくバザーを手伝う仲間も何人かが買ってくれて、キャラクターの名前や
彼らの設定にも関心を持ってくれました。
しがない絵描きとして、その日は僕の初めての晴れ舞台でした。
初めての試みにも関わらず17個も売れ、本当に恥ずかしいほど嬉しかったです。
けれど、絵描きとしての根本的な考え方は変わりませんでした。
僕にとって絵は手段でしかなく、目的ではありません。
確かにアーティストにとって注目されることは大きな利益だと思います。
注目の数だけ様々な価値や解釈が生まれて、作品を高次へと運ぶでしょう。
それも確かに、貴重で有意義な経験です。
だからこそ、それを作者だけが独占すべきではないと思います。
もしも作品を独占するようなら結局、鑑賞者は作品を高めるための手段になってしまう。
人間の上にアートを置くという姿勢に、僕は大きな憤りを感じています。
確かに体裁の良い絵を描ける人は、世界人口という
規模で見れば少数派で、それこそ贈り物。
恵まれているからこそ、分かち合わなければ意味がない。
どんなに土地と富に恵まれていても、名声があっても、
それをあの世まで持っていくことは出来ない。
アートも含め、人それぞれの能力的な財産だってそう。
ナザレのイエスが語った『愚かな金持ちのたとえ』のように、
その夜死んでしまえば、何も残せない。
バザーでの経験を経て、絵を描くという行為が特別で、
恵まれていることだと、恥ずかしながら初めて知りました。
だからこそ、これを分かち合っていきたい。
資本主義的な売り物でも、一時の慰めでもない、希望を描く人になりたい。
名誉もいらない、お金もいらない。
一番暗い場所で泣いている人たちの明かりになりたい。
描く中で出会った大切な仲間とともに、それを続けていきたいです。
アイン、桜火、今日まで本当に頑張った。
これからも一緒に、希望を運ぶ相棒でいてほしい。
それが僕にとって、彼らを愛することですからね。
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