「親の親」になる日

 今日は母方の祖母の住む豊田市の実家へ向かいました。

実は先月にも祖母の元へ行きまして、その時は酷く腰を痛めていてため

一日おきに針を打ってもらうという生活で、手すりがないと

歩行もままならない状態でした。

先月からの経過を確かめたかったのと、ちょうど二週間前に

肺の手術を受けて退院したのもあって、その後の様子が

気になったのが大きな理由でした。

 

 

 一年分の保険を入れたばかりのバイクに乗って大よそ五十分、

いつもの観葉植物とサボテンが並ぶ祖母の家の門前へ。

車庫横にある空き地に停めようとした時、見慣れない車が一台停まっていました。

車庫の入口を塞ぐ形で停めてあったので、持ち主は間違いなく祖母に

用事のある誰かだとすぐ分かりました。

 

 

 プロテクターをバイクのトランクにしまい、貯蔵庫前の流し台で

顔を洗っていると、祖母ともう一人の話し声が聞こえました。

玄関すぐ右手にある食卓を窓越しに覗くと、祖母と僕の母の姉がいました。

僕の存在に気付くとお姉さんの方から「いらっしゃい」と招かれて、

僕は軽く挨拶をした後、食卓にあがりました。

 

 

 

 

 祖母は相変わらずお喋りで、僕が言葉を挟むすきを与えない程でした。

同じくお喋りな僕と母は、この祖母の孫と子なんだとしみじみ感じます。

僕が昼食をまだ済ませていないことを知ると、二人は残り物の赤飯に豆ご飯、

おつけものに刺身、それにウィンナーとお茶を出してくれました。

予告なしの訪問に色々と手間を掛けさせて申し訳なさもありましたが、

二人のお出迎えはとても温かいものでした。

 

 

 母の姉に祖母の元へやって来た理由を尋ねると、祖母の周りの親戚や

子たちが交代で身体を悪くした祖母の手伝いに向かっていて、たまたま今日は

母の姉の番だったということでした。

実家での余生を支えるために、皆が協力していたのでした。

 

 

 不謹慎な話ですが、世の中には老いた両親を施設に預けたきり、

一度も顔を出さない子や孫がいるそうですが、それぞれの

仕事の合間を縫って暮らしを支える親戚たちには頭が下がります。

愛のある家庭に生まれたことを、誇りに思います。

 

 

 

 

 食事を挟みながら、退院までの流れを聞いてみました。

一ヶ月ほど前に肺に水が溜まる病気にかかり、肺への圧迫から呼吸も困難な

状況に陥ったそうでした。

退院後は一ヶ月おきにレントゲンを撮る経過観察を行なうことになりましたが、

入院中に抜いた水の量が4リットルと、一般的とされる500ccを

大きく上回る量だったので、まだまだ予断をゆるさないと思います。

 

 

 僕が祖母と会う時は平和な時間が流れていました。

けれどその裏には身体の衰えや病気で苦しむ姿があって、

それを誰かが支えていることを忘れたくありませんでした。

 

 

 

 

 僕にもいつか「親の親」になる日が訪れる。

今まで面倒を見てくれた親を、いつか子どもが

面倒を見る時が来ると思います。

色々と主張の激しい僕は両親に対して、精神的にも金銭的にも

多くの苦労を掛けてきたと思います。

だからといって恐れおののきながら親の言いなりとして

生きたくはないから、大切なものはこれからも貫き通したいです。

我が子として誇れる人間になる、これが僕の思う親孝行です。

 

 

 けれど僕の両親もそこそこの歳になって、衰えとまでは言えませんけれど

心配になることは日に日に増えていきました。

今は何もできないけれど、せめて祖父母の元へ顔を出したい。

今は幾らか時間もあるから、無為にするわけにもいきませんからね。

 

 

 

 

 今言っても、きっと伝わらないかも知れない。

最期の最期まで、絶対一人にはしない。

頂いた愛情を返す、その日までは。