「人を信じる」事、「信じ合う」事とは何だろう。
こんなものに疑問を抱くこと自体、とても変な事だとずっと思っていました。
ただ相手を信じれば良いだけ、それは僕自身を信じてもらいたい事の
裏返しなのかも知れません。
でも、等価交換みたいな一種の「契約」とはちょっと違う気もする。
あれこれ考えるうちに、眠れない夜が続きました。
こんなに単純な事で、どうして不安になってしまうのか。
絵を描いている時、命さえ懸けられるような将来計画を考える時、
この手とこの身体はとても活発に働いてくれます。
試行錯誤を繰り返し、事は順調に一歩ずつ運んでいる様に思えました。
これだけ活発でいれば、あちこち走り回っていれば、心地よい疲れと共に
夜には温かい睡眠が出迎えてくれると、ずっと思っていました。
けれど、頭の内側に付いて離れないものがありました。
「信頼」という言葉の意味についてでした。
たった一つの疑問が、足枷のように歩みを鈍らせている事に気付きながら、
その枷を外す鍵を何処かへ無くしてしまったようでした。
絵柄へのちっぽけな拘りも、名声や富なんてどうでも良い。
手鏡のように自分の顔を愛撫するための自惚れた絵は絶対に描きたくないし、
閉じた世界の中で馴れ合うような真似もしたくはない。
誰かの悲しみや苦しみを見て見ぬふりをする人間にもなりたくない。
自分の事だったら大ごとにするくせに、他人だったらどうでも良いなんて。
そんな人間ばかりだったら誰も救われない、巡り巡って自分さえ救われない。
余り言葉にしたら良くないですが、僕の目には理想よりも
反面教師の方が多く映ってしまいます。
何を偉そうに、と誰かが言うでしょう。
僕だって自分に対してそう思うことは日々ありますし、
そんな自分が日々惨めに映ったりもします。
ただ描く事を通して誰かを救うことが出来るなら、どんなものにでもなりたかった。
一緒に傷ついて、痛みを知ることで誰かを慰められるなら、
深い闇の奥に沈んで、一緒に一筋の光を探したい。
そう願う筆先は重くても、少しずつ僕に力を委ねてくれるのを
感じたのは、本当に最近の事でした。
それなのに、活発と一緒に倦怠を抱く矛盾した日々が続きました。
季節の変わり目で体調が優れないのもあるかも知れない、それにしては長すぎる。
僕の作品とともに歩む一生涯さえ懸けたい計画、その目的である
「信頼」が、とても脆く曖昧に思えてしまったからでした。
先日はベトナム人の女子小学生が地域の見守り役でもあるPTA会長に殺害され、
その後も周りの信頼を隠れ蓑にしてきたという悲劇がありました。
こんな事が起こったら、もう誰も信頼出来なくなってしまうのも無理はないでしょう。
そして今週に衆院で強行採決された共謀罪。
個人の思想を監視する戦中の悪法の復活が近づき、隣人が通告者となって
互いに排除し合う社会が訪れる可能性は決して否定できません。
社会情勢という大きな枠組みだけに留まらず、僕の身近な風景さえも
かつての様相から大きく変わりました。
僕が小さかった頃はいわゆる「かぎっ子」で、両親が働いて家が空く
時間があったので、子どもに家の鍵を持たせることがありました。
ところが家の鍵を忘れてしまうこともあって、その時は友達の家に
呼んでもらって親が帰るまでの間、しばらく一緒に遊んでもらったりもしました。
ある日は友達と会えなくて結局、鍵の掛かった家の扉の前で
「岩戸の祭り」をしていたところ、僕にはあまり面識のなかったお隣さんが
見るに見兼ねて、僕を家に置いてくれて焼きおにぎりまで
ご馳走になったこともありました。
他にも公園では小型犬を飼っている白髪のおじさんが、僕たち小学生の
遊びに付き合ってくれることもありました。
今の僕は24歳で、あの頃とは目線も変わりましたけど、
小さかった頃には感じなかった他者からの不信感にまとわりつかれる事が多いです。
「知らない人には付いていかない」という言葉がこれほど強い不信感として、
自他を隔てる壁になっていることに気付かされました。
子どもと大人の交流も、今や親子間の閉じた関係に完結してしまった印象が強いです。
僕には誰も信じられない、という意味ではありません。
「信頼」そのものが何者なのか、分からなくなってしまったのです。
繰り返しのようですけど、僕の作品はお祈りのようなものです。
何かが少しでも良くなるように、苦しみや悲しみに寄り添って、
そこで知った同じ痛みの消し方を探すためでもあります。
だから僕は誰かを信じたいとずっと願っていました。
それと同じくらい、僕は信じてもらいたかった。
怖がらないで、絶対に騙さないから、あなたから何も奪ったりしないから。
そんな「信頼」という後ろだてを無くしたら、僕の絵なんて、
僕の存在意義なんて、ないに等しいじゃないか。
頭のいかれたストーカーか、妄想の中で自傷行為を繰り返すだけの、
マゾヒストにしか映らないじゃないか。
そんなのは嫌だよ、僕だって傷付くのは怖い。
だから誰かが傷付く姿を、もうこれ以上見たくない。
そんな願いが、泡沫のように弾けてしまいそうな不安を消せずにいました。
それから確かめ合うことさえ億劫になって、閉じ篭ったような
午前を過ごす日も増えました。
傷付かずに眠っていた方が楽に思えても、そんな日々に汚れて腐っていく
自覚は誰よりも強く感じていました。
信じる心を取り戻したい、そう諦められずにいたのです。
その答えは、思ったよりも簡単だと気付きました。
僕は毎月、仲間たちと一緒に重度な身体障害を持つ方々の施設を
訪問していて、ちょうど今日がその日でした。
その施設の利用者さんは車椅子やストレッチャーの上で身体の動かない
寝たきりに近い生活をされていて、また脳の障害も重く言葉による
意思疎通が大変困難な方も多くいらっしゃります。
一般的に僕たちのこの活動は「ボランティア」と呼ばれますが、
その言葉を使うと誰かに対して一方的に善行をするという意味合いに
なってしまうのでそのようには呼びません。
代わりに「分かち合い」という言葉を使います。
僕たちが生きる時間は、誰の意思にも関係なく無償で与えられているので、
その時間を誰かと無償に分かち合う、という意味があります。
その施設へ向かうまでの交通費も掛かりますし、休日は誰だって
自分勝手に過ごしたいでしょうけど、誰かと会うためにそれらを
少し手放してみることで、多くを学びます。
日本語で「自己犠牲」はネガティブな言葉として捉えられがちですけど、
ラテン語で「犠牲」は「何かを聖なるものにする」という意味もありますからね。
僕はこの活動を6年近く続けていますが、そこで学ぶ事は多いですし、
僅かな空白の中で忘れてしまうものも多いことを知りました。
今日は同施設内にある小学校の運動会で、僕たちはそれぞれで利用者さんの
車椅子を引いて一緒に見学するというものでした。
小学生の子たちの乗る車椅子を職員さんが引き、短い廊下で徒競走をしたり、
入場の行進をしたり、その子の親御さんを囲んでの時間は微笑みに満ちていました。
僕の引く車椅子に乗った利用者さんは鈴を片手にニッコリと、
楽しげにリンリンと鳴らしていました。
皆が笑っているから、僕も笑っていた、理屈なんていりません。
こんな感じで見学していると、後ろから柔らかいものでつつかれるのを感じて
振り向くと、ストレッチャーに乗った利用者さんがゴム製のサーベルの
おもちゃで僕をつついていたのでした。
「うわぁ!!」と斬られたリアクションをとると彼は面白がってもう一度、僕をつつく。
他人に対してこんなに警戒感なく接してくれた事に、僕は嬉しかった。
これが、僕が今までずっと欲しかった「信頼」のかたちでした。
今日の事を忘れないために、忘れたくない温かみの手掛かりを
ここに書き留めたいと思いました。
来週には疲れた勢いで忘れてしまうかも知れないけど、
そうならないためにずっと祈り続けます。
ただただ、今日は感謝に満ちた一日でした。
この温かみを誰かに届けたい、そのために僕はもう一度、絵を描きます。
出来れば実際に、例え写し身であっても手渡したいです。
これからも制作し続けるポストカードには、そんな願いもあります。
もう一度、「信じる力」に身を委ねたいです。
あなたがくれた温かみを信じたい、あなたの言葉を信じたい。
出来れば実際に会って笑いたい、一緒にご飯を食べながら語り合いたい。
出来れば、こんな僕の事も信じて欲しい。
そうしたら「大嫌い」を「好きじゃないけど」と言えるようになりたいです。
嫌いなものばかりの世界と、そこに生きるあなたを好きになれるようになりたいです。
そんな気持ちを、もしかしたら苦しみや悲しみと一緒に
なるかも知れないけど、絵に描いてあなたの元へ届けたいです。
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