初めに、本文は誰かに読んで頂く事をあまり目的にしておりません。
それなのに敢えてここに描くのは、今後の方針に関わるから、
それも公の場で行われると思われるからです。
初心を、動機を忘れないために、ここに備忘録として記録します。
自分の作品をもって、何かを少しでも良くしたい。
僕は長らく、そう願い続けていました。
その結論としてポストカード企画を立ち上げましたが、その延長線として
フリーマーケットなどの現場で東北支援プロジェクトを行いたいと考えています。
義援金募金という直接的な支援もそこに入りますが、個人で出来ることは
大したことではありませんし、金銭で全てを解決しようとは専ら考えてもいません。
作品を通して、手渡しを通して、自分の言葉を通して誰かの為に伝える事をしてみたい。
2012年の2月、東日本大震災の翌年に僕は宮城県七ヶ浜町を訪問しました。
今では熊本地震の被災地支援も行っている、レスキューストックヤードさんという
団体に加わる形での訪問でしたが、参加理由はいわば、償いの気持ちでした。
震災のあった年、僕は高校3年生で受験の真っ只中でした。
東京の私大を目指していて、競争の中で焦っていた僕にとって、
同じ大学を目指しているであろう学生たちの死でさえ、そんな僕には好都合と
捉えざるを得なかったのです。
「仕方がない」と言い聞かせ続けて、それでも罪の意識は消えませんでした。
結局その私大には落ちて、地元の大学への入学が決まると、
とても安心した気持ちでした。
もう無為に争う必要がない、家族にも感謝しないと。
そこで思い出したのが、東北で被災した人たちのことでした。
罪の意識、それが僕と東北を、七ヶ浜町を巡り合わせたのでした。
薄い壁の仮設住宅では、子供たちはお隣への迷惑を気にして静かに過ごしていました。
ボランティアの人たちが遊んでくれる時だからこそ、純粋な気持ちでワイワイと
騒いで遊べるのだと親御さんが話してくれました。
復興市では手芸や地元の野菜も売られ、傷跡の上からでも立ち上がろうとする
活力がそこにありました。
当時からニュースでは、復興が進んでいると騒ぎ立てられていました。
この七ケ浜町もまた、その一つでしょうか。
答えは違います。
ニュースに騙された事は、とても早くに気付かされました。
流暢な東北弁で話す、60代後半と思われる男性が言うに、
この町で住宅が半壊した世帯では50万円、全壊した世帯では100万円しか、
保障を受け取れなかったのです。
どの借家に住うにも、それでは半年か1年しか持ちません。
そんな話は、決してニュースには上ってきません。
この時点で、既に風化が進められていました。
それも人為的に、僕はそう感じました。
僕は足湯のボランティアとして、ぬるま湯に濃い目の入浴剤を溶かし込んだものに
現地の方々に浸かって頂きながら、お話をすることを行いました。
瓦礫を踏み越える時、そこにあったストーブで足の裏を火傷したこと、
身につけている装飾品が大切な人の形見であること、こんなお話を聞きました。
ただ聞くことしか出来ませんけれど、それが安心に繋がると言われ、
僕自身が励まされたことを覚えています。
七ヶ浜の海に囲まれ、その海から全てを頂き、全てを奪われた。
とても言葉には表せない気持ちでしょう。
色んな想いが交錯する中、一つ一致した言葉がありました。
東日本大震災の、七ケ浜町の記憶を忘れて欲しくないと。
僕には帰るべき場所がありますから、ずっと七ヶ浜町に寄り添うことができない。
まして原発事故が起きたのですから、本来は福島県どころか首都圏に至るまで
避難をしないと危険な状況でしたから、通い詰める事もできない。
理不尽な現実が憎かったですし、それでもなお原発を
動かそうとする動きにも怒りを覚えました。
けれど僕は、あまりにも無力でした。
確かに、東日本大震災に関する作品も幾つか描きました。
それで少しは、記憶を留めることが出来るだろうと願いながら。
ところが、あまりにも手応えを感じなかったのが実情です。
もっと上手に絵を描けたら少しは変わるのか、そうでもないと思います。
誰かに会って、きちんとこの手で渡さないと、
その口で語らないと意味がないと思いました。
だから義援金だけで全てを解決しようとは考えません。
バザーやフリーマーケットの現場で、ポストカードを売るという形で
義援金を集めたり、その中でこの目的を伝えながら少しでも、
東北のことを思い出してもらえたら、そう考えています。
最近は個人でネットを介してオークションも開けて、そこで
個人のイラストに思わぬ値段が付いたという話を聞きました。
ネットを介せばより効率的に、金銭的に支援を行えるということにはなります。
しかし僕は、このような手段は取りたくありません。
何故なら業者さんに委託することで、本来の目的が薄れてしまう危険があるから。
ただ単に、自分の作品に値段が付くのに自己満足して、自惚れてしまう危険があるから。
僕は自分の作品に値段を付けたくありません、おこがましいです。
値段によって相手に作品の評価や解釈を押し付けたくないのです。
それに被災地域への支援活動もまた、個々人の自由意思で成り立たせないといけない。
関心を押し付けてしまえば、支援どころか逆に風評をもたらす危険もあります。
なので例えば予定として、ポストカード一枚を20円を最低価格に設定して、
そこからお客さんに好きな値段で買ってもらおうと考えてみます。
売上はそれぞれ七ケ浜町への義援金と東北支援プロジェクト並びに御土産の
維持(印刷費、包装用品費)、拡大のためのカンパとして頂き、
僕個人の財布には1銭たりとも入れません。
全てをこれから出会う人たちとの信頼に委ねようと、僕は思います。
そのためにも作品は真面目に制作したいですし、これからの企画についても
しっかりと説明責任を果たしたいです。
動機も目的も、会計報告も、聞かれる限りなんでも。
僕の作品は今までの多くの出会いによって支えられました。
沢山の現実とも触れ、夢も抱いて、時には祈って、これ以上にない幸せを頂きました。
それを少しでも、どこかへ還元したいと思います。
金銭的な利益も、名声も、何もいりません。
本当の絆を、手触りのある繋がりをこれから取り戻していきたいと思います。
東北と僕たちとの絆を、隣人との絆を、そのためのプロジェクトを絶対に
立ち上げたいです。
まだまだ作品も足りず、準備も途中ですが、もうしばらく時間を下さい。
いつかどこかで、あなたたちと出会える日が、とても楽しみです。
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