去る人・来る人

 先月から名古屋市某区の共同生活体での入浴介助が始まりました。

お風呂を沸かし、利用者さんが入浴中にてんかん発作を起こさないかを見守ったり、

自分では体を十分に洗いきれない人には代わって体を洗ったり、比較的簡単な介助です。

この生活体で固定の介助が入るのは本当に久しぶりで、

そこには去年までYくんが住んでいました。

今はもうYくんはいませんけれど、新しい住人で賑わいを見せています。

 

 

 もう一年が経ってしまったのか、そんな気持ちがそこはかとなくありました。

けれどYくんは最期の時まで幸せそうでしたから、僕たちは嘆いていけない気もしました。

久々に介助に入った生活体の顔ぶれは相変わらず賑やかで、新しい二人の住人もいました。

 

 

 一人は女性の方で、実は僕と同い年。

人懐っこくて元気でARASHIのファンで、背の高い男性が好きだといいます。

身長182センチの僕にもよく声を掛けてくれますし、「イケメン!イケメン!」と

しきりに言ってもらえた時は少々照れくさかったです(笑)

というのも、僕自身あまり自分の顔に自信がないからですが、

それで自己否定すると却って彼女に申し訳ないなと同時に思ってしまいます。

 

 

 もう一人新しい住人がやってきました。

僕より一つ年上の男性で、ここにはお試し期間として週二回で泊まって

もらうことになり、僕の入る火曜日と重なったため介助することになりました。

僕の立場で言って良いか分かりませんが、知的障害などを持っている人は

誰が見ても分かるほど強烈な個性を発揮する人が多いものですが、

彼は一目見ただけでは介助者と思うくらい普通の雰囲気で、身の回りのことや

簡単な言葉を話す程度のコミュニケーションも普通に行える人でした。

違いがあるとすれば自閉症があり、何か強いこだわりを持っていたり、

自分の予想と違うことが続くとパニックを起こしてしまうらしい、ことでした。

 

 

 自閉症といえば、僕が小学生だった頃のクラスにもそんな男の子がいました。

子どもらしい正義感の持ち主だった僕は、彼がただワガママを言って周りに迷惑を

かけていると思い込んで、随分強い態度であたってしまったことを今でも恥じています。

23歳のいま、少し冷静な立場で自閉症の人と向き合える機会を得られたのは

何かのご縁だな、僕にやり直しのチャンスをくれたんだなと思う時もあります。

 

 

 元々住んでいた人たちの入浴介助も思ったほど手こずらず、

後はブランクから薄れてしまった関係性を濃くしていくことが課題だと実感しました。

新しい利用者さんについても殆ど自分だけで入浴することができましたので、

後は若干の洗い残しを手伝うだけ。

 

 

 この生活体は多くの人たちの人生を見つめる場所でもあります。

平日には一緒に働き、休日には一緒に出かけたり、時々誰かが病気で入院したり、

突然にお別れの時が来たり、その全てとこの住人たちは共に過ごしています。

僕とYくんが過ごした時間も、その全体からしたらほんの一部かも知れません。

 

 

 日常が戻るということは、それまでの悲しみも一緒に忘れてしまうことだと

思っていましたけど、この日の会話にはYくんの一周忌についても出てきました。

喪失の時は必ず訪れますけど、それに打ちのめされず、彼らは前向きに生きている。

僕もクヨクヨしてばかりはいられないな。