共同生活における「自己覚知」

 自己決定という言葉を聞いて、僕たちは何を思い浮かべるでしょうか?

これは文字通り自分のことは自分で決めるという意味ですが、

大きく捉えると例えば就寝や起床、食事、入浴、買い物、こうした身近な行為にも

全て自己決定の要素を持つと言えます。

 

 

 では一つ話を進めてみましょう。

こうした自己決定を他者に一生代行してもらう人生を想像したことがあるでしょうか?

これは障がい者介助において最も重要であり、介助者が一丸になって考えるべき

とても大きな課題の一つです。

 

 

 さて本日は障がい者介助職員向けの学習会に参加させて頂きまして、

そこでの内容を紹介したいと思います。

福祉関係に携わる方でもそうでもない方でも非常に興味深く思えるお話でしたので、

ここで少し目を通して頂けると幸いです(^^)

 

 

 

 

 障がい者と一口に言っても精神障害や知的障害、身体障害とその内容も異なりますが、

ここでは先天的・後天的な特性によって自己決定の意思を表現できない方々

このように概ね定義されています。

しかしながら重要なのは、自己決定の意思を表現できない=自己決定の意思がない、

という意味ではないということです。

ゆえに障がい者介助という仕事は、本人が表現できなかった自己決定を代行する

という大変重大な責任があります。

ですが、自分と他者は当然ながら価値観や状態が異なります。

自分ではない他者の自己決定を行うために、先ずどうすれば良いのでしょうか。

 

 

 

 

 ここで基本的で重要な要素に「自己覚知」というものがあります。

これは自分の価値観や状態を自分自身で知る、という意味で、言い換えるならば

自己の客観視と言うことができます。

どうしてこれが必要かと言うのは、自分自身を知ることで他者との共通点と

相違点を見つけるためでもあるからです。

お腹が空いたら何かを食べたい、この時間には寝たい、休日には遊びたい、

大抵の人はこんなふうに考えるかと思います。

 

 

 しかし休日の一番楽しい過ごし方や味の好み、行動パターンは十人十色ですし、

僕たちは他者のそうした内面を完全に理解する事はできません。

それゆえに、自己決定の代行には手探りの努力が必要ですし、

その中ですれ違いもあったりします。

自己覚知の必要性とは、自身を知る中で他者との共通と相違を認め、

適切な自己決定の代行を探ることに繋がることにある、と言えます。

 

 

 僕自身が自己覚知という言葉を初めて聞いたのは、とある利用者さんの余暇支援を

始めた時で、その要点は「もし自分が介助される立場だったら」という問いかけでした。

ともかく、アルバイトという立場でも3年近くこの仕事に携わってみると、

この事の重大性を考えなければならなくなりました。

 

 

 僕たちの携わる生活体の利用者さんは一つのグループホームに一人の介助者がいて、

その日毎に違う介助者が介助を行うことになっています。

要は一人の介助に多くの人が関わっている、ということです。

その介助者の数だけ利用者さんの自己決定の代行パターンがあって、ゆえに

介助者同士のコミュニケーションは不可欠となります。

そのために一冊の連絡ノートがあって、その日の利用者さんの様子を記入しますし、

僕たちの日常では気にもかけないような小さな変化もここでは重要な意味を持ちます。

 

 

 実際、これが一番難しいと思いました。

というのは介助者毎に自己決定がバラつくと、その時々で利用者さんなりの

生活リズムを混乱させてしまったり、或いは間違った対応が積み重なって利用者さん本人に

とって良くない意思決定が通ってしまい、介助者として適切な誘導が行えなくなって

しまうこともあります。

逆に自己決定がワンパターンになってしまうと、利用者さんの行動範囲が狭まり、

狭い人生観の中に閉じ込めてしまう結果にもなります。

自己決定を代行することは、その人の人生をかたち作ることと同意義でもありますし、

その中で利用者さんの人間としての尊厳を守っていく必要があります。

 

 

 もちろん、利用者さんが何も言えないから介助者の思うがままに言うことを

聞かせるのは問題外ですし、利用者さんの安全のためだからと極端に行動を

制限すれば、高齢者介護で問題になった身体拘束と同じ結果を招いてしまいます。

 

 

 この事を思い出すと、介助を行うたびに悩むことが多くなります。

足取りがふらついている利用者さんの歩行介助が必要な時、走り出すと危ないのですが、

無闇に手を引いて制止すれば逆に転倒させるかも知れませんし、もし自分が

「こうしたいのに」と思ったのに力尽くで止められたらどんな気持ちになるか、

適切な介助とは何かと、何時も悩まされます。

 

 

 介助者が仕事を引き継ぎをする時は必ず「対面交代」といい、介助者同士で

それまでの出来事を報告するようになっていますが、そこで思わぬ代替案が引き継ぎの

介助者さんから頂けることもあります。

例えば職場からグループホームまで走らずに帰れたなら、しっかり褒めたり、

人やものを押さないで自己表現を満足させる別の方法を利用者さんに教えたりと、

こんな意見交換があって、実際に後日の介助で実践したものもありました。

 

 

 自分を知ることが他者を知ること、ここでは障がい者介助の現場からお話させて

頂きましたが、自己覚知の大切さはどんな人にとっても大切なことだと思います。

違いを見つめることは大変ですが、そこから新しい窓が開けることだってあります。

 

 

 未だに僕は3年近く関わった利用者さんの事はよくわかりませんけれど、

彼らの幸せを感じる心をそこで分けてもらえた気がしました。

同じ年の友達で今も悩んでいる人がいるなら、それをそっと伝えてあげたいくらいです。

僕には僕の、利用者さんには利用者さんの、誰かには誰かの幸せがあって、

支え合いながらそれを分かち合えたら、どんなに温かい社会になるのでしょう。

きっと虹のように色鮮やかな風景が広がるかも知れません。

どの色が一番綺麗だなんて、そんなのはないと思います。

一方通行で窮屈に感じる社会に優しさと分かち合いを、

少しずつ取り戻していきたいですね。