アンサングと消えた足跡

 いつの間に2016年も暮れ頃に、年の瀬という言葉が身にしみるばかりです。

その間、とても濃密な制作が続いたのもあって一層、時間が早く感じましたが、

今年はずっと、同じ題材と向き合っていた気がしました。

僕にとって身近な人が亡くなってから、生まれ死んでいく僕たちの行方について

無意識のうちに考えてしまいます。

それと"-One Summer's Day / 餞の唄-"の制作中に大叔母が自殺したことも

重なって、今までの浅はかな死生観が粉々に砕けた瞬間も訪れました。

さながら十字架の前にひざまづいて、日の出を待つような、

昔と今日の輪郭をなぞりなぞる日々でした。

忘れたくもない、忘れられもしない記憶が、今になって堰を切って流れ出すようです。

 

 

 唐突な話かも知れませんが、以前に聞いたこんな話を思い出しました。

それは、有機体としての人体は科学的に、僅か5%程度しか

知られていないという事実についてでした。

現代医学は発達して、かつて「不治の病」と呼ばれた幾つかの病気を治療したり、

ほぼ撲滅状態にしたりした地域が実際に存在します。

しかし医学や公衆衛生が(局地的とは言え)これほどまでに発達しても、

人体については殆ど解明されていないのです。

脳や心臓だけではなく、まさに僕たちの身体は「小さな宇宙」と言われる所以です。

アレクシス・カレル アトリエ-婆娑羅-

 1912年にノーベル賞を受賞したアレクシス・カレルというフランス人医師がいました。

医師として理性的な思考を持ち、同時に強い無神論を長らく貫いた人物でもあった彼は、

ある少女との巡礼をきっかけに、科学では証明できない未知との遭遇を果たしました。

そのことについては名著『人間 この未知なるもの』に記されています。

 

 

 当時のフランス医学界では唯物論、無神論を前提に研究が行われ、

奇跡や神といった言葉が禁忌となっていました。

その流れを汲んだカレルもまた無神論を貫き、医学を通して目の当たりにした

現実のみに対して常に忠実であろうと努めていました。

 

 

 ある日カレルは、重度の結核性腹膜炎に冒された少女の付き添い医となりました。

彼女は余命幾ばくもないことを悟り、せめて最期に聖地ルルドを巡礼したいと願いました。


 ルルドまでの長き旅路、彼女は奇跡的に生きて聖地に辿り付き、泉の聖水を浴びました。

その後の彼女の容態は悪化し、しかしその後日には奇跡的に肺の病が治ったというのです。

この急激な変化は恐らく、死の予兆ではないかと誰もが思っていました。

しかし、レントゲンに写った彼女の肺を冒す白い影はどこにもありませんでした。

少女は正真正銘、病を克服したのです。

 

 

 有り得ないことが起きた、カレルは驚きました。

彼は目の当たりにした現実を認め、単なる偶然ではなく何かしらの力が

そこにあったと考えたのでした。

それを彼は「未知」と表現し、少女の元に起きた「ルルドの奇跡」の事実を

医学会で発表しました。

しかし唯物論と無神論が掟だった当時の医学界は彼を非難し、

研究の自由を奪われることとなりました。

それでも彼はこの「未知」との遭遇を受け入れながら、良心に忠実な研究が

やがて世界的に評価されることとなったのでした。

 

 

 

 

「祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである。

 それは地球の引力と同じ現実的な力である。」

 

 

 

 

 彼の残したこの言葉はまさに、未知の存在を現実として認めた証です。

科学が発展し、未知と呼ばれる出来事の幾つかが説明できるようになった現代ですが、

説明できないからと、その出来事を否定したり、偶然と呼ぶことが正しいのか、

ここで問いかけられたと思います。

 

 

 もちろんそれは教会や聖地に行けば病気が治るとか、あるおまじないを毎日していれば

願いが叶うということを闇雲に支持する意味ではありませんし、病気になったら

病院に行って治すのが現実的な方法です。

それでも僕たちの生きる世界には未知で溢れていますし、苦しみも同時に存在します。

何かを知りたい、苦しみから解き放たれたい、この狭い部屋から

一歩飛び出したい、それら全ては祈りなのです。

カレルが遭遇した「ルルドの奇跡」は、「事実そのもの」

と向き合う大切さを教えてくれたのです。

 

 

 

 

 一つ、思い出したことがあります。

それは忘れもしない3月6日、僕の大切なYくんが亡くなった時のことでした。

生まれてから旅立つまで、彼の人生は両親とともにありました。

両親に先立たれた彼はその後の1年近くをまっとうしましたが、潔癖症な所を両親に

褒めてもらったからなのか、新しい生活環境でも譲れないものを持っていました。

 

 

 亡くなる前日は空ばかりを眺めて、介助者さんにおねだりをして、

好きな人の前で笑って、仏頂面だった彼らしくない仕草が続きました。

それはまるで、旅立つための準備をしていたように。

そして旅立った先に両親がいることを分かっていたのかも知れない。

彼とはもう話すことも出来ませんので、確かな説明は何もありません。

 

 

 柩に入った彼は眠っているように安らかな表情を浮かべていました。

生前彼は、洗濯用の粉石けんで顔を洗う癖があったため肌荒れが酷かったのですが、

お化粧のおかげなのか、白く艶やかな顔になっていました。

 

 

 今でもこんなことが起きた、としか言いようがありません。

それが、Yくんが一番望んでいたことだったらどんなに幸せなのでしょう。

帰るべき場所が遠く向こうにあるのかも知れない、そんな希望を

命を懸けてYくんが教えてくれたような気がしました。

 

 

 Yくんが亡くなってからの制作は一貫して「死」と「帰るべき場所」を

題材に描いていたと、ここで振り返りました。

そこで何が分かったかと言われると、何も分かりませんでした。

ただただ、その時々の記憶をなぞり描いている感覚は上手く言葉に表せません。

モチーフがここにあっても、それは何かと説明できないのです。

けれどきっと、それはとても大切なことだと思うので、もう一度描いてみたいと思います。

読めない名前の、懐かしい故郷へ帰るその時まで。

 

 

 

 

 今年最後の制作、題名は"-YHWH:Your Name / アンサングと消えた足跡-"です。

一応題名とありますが、この作品に固有の名前はありません。

万一にもこの作品に出会ったあなたに、一番好きな名前を付けて頂きたい、

そんな願いを込めてこの題名にさせて頂きました。

 

 

 最後になりましたが、制作のきっかけとなった『アンサングと消えた足跡』という

詩を載せておきたいと思います。

もうすぐクリスマス、暖かな喜びがあなたの心を満たすことを祈っています。

 

 

『アンサングと消えた足跡』

 

 

追いかけていた 昨日の足跡

一人ぼっちの影法師に 置き去りの少女

真冬の風鳴りに消えた 明日と昨日

 

閑散と街角は 灯火と揺れる

遠く向こうの教会で 葬送歌が聴こえる

雪の中 足跡が消えて 羊飼いのベルが響く

 

「さようなら 今日はあなたの誕生日ね」

振り返った彼女は涙ぐんで 少し笑った

 

風がさらった 紅色の花

聖霊が唄った 故郷の名前

少女は去って 足跡が消えた

 

家路へとただ急ぐ 道すがら

読めないあなたの 名前を知るまで