どうでもいい

 先週は色々な出来事があって、今夜の父はビールを片手に

亡くなった大叔母の預金通帳を手に何やらを考えている様子でした。

食卓にあの日の話題はもう上らなくなりましたけど、やっぱりまだ、

終わらずに続いている事がありました。

一括りには出来ない、未練があっても取り戻せないことはこれからも続いていく。

当たり前な現実ですけど、せめてどこかで区切りを付けないといけないなと思います。

 

 

 

 もうじき完成するはずの"-One Summer's Day / 餞の唄-"という作品がありますが、

その作品の原点は残された命が死者を看取るというものでしたが、現実でこのような

出来事を目の当たりにしてから、筆を持つことさえ怖くなってしまいました。

制作期間中にこういうことが起こるのもしょっちゅうありますけど、やっぱり慣れません。

当たり前ですよね、人が死んでも平然としている方がどうかしていますもの。

それでも、「昨日になった今日」に一旦お別れを告げないといけない。

僕が絵を描いたり、何かの文を書くのも多分、ある日付に墓標を建てるのと

同じなのかも知れません。

 

 

 

 理由がないものが欲しくて、今は休憩も兼ねて笑顔を描いています。

純粋で理由のない、子どものような笑顔を描いてみたい。

こんな気持ちで描いても、作り物にしか見えないかも知れないけれど、

温かいものを迎え入れる心の準備になれたら良いです。

 作品タイトルは"-Fratelli / どうでもいい-"です。

昔描いた"-Fratelli-"という作品の構図を引用しての作品となります。

今は線画ですが、いつ塗るかはまだ決めていません。

最後ですが、制作中に浮かんだ詩もここに載せておきます。

拙い文章ですが、やっぱり僕には表現行為を捨てることは出来ませんでした。

地上に理想郷はなくても、ここでは心の奥底から自由になれますからね。

 

 

 

『どうでもいい』

 

知らないお婆さんが自殺した 故郷の栗の木の下で

 

「最後まで勝手な人だったね」

みんな笑って 夜中にこっそり泣いた

 

一日中 何をした

過ぎた日々 僕だけが取り残された

何となく疲れて 嬉しくもないのに笑っていた

 

どうでもいい

相変わらずの明日も 何時かは終わるから

 

目と目が合って 小さな君は笑った

俯いた目 僕も笑った

 

明日死ぬなんて 君は考えないから

「また明日」なんて言うのかな

そんな今日が 僕には愛しく思えた

 

どうでもいい

明日も僕は 生きてみるから

 

ごめんなさい ありがとう

言えないまま 今日も朝陽が昇る