栗の木の下で

 今週の火曜日、丁度朝の7時に電話があって、

母は普段よりも大声で通話をしていました。

ガシャリと受話器を戻し、何があったかを訪ねてみました。

 

「(父方の祖母が)朝、栗の実を拾いに行った時、(祖父の妹が)栗の木に縄をかけて

 首を吊ったのを見つけた」

 

 

 もう週末になりますが、今でも忘れられません。

そのお婆さんの名前を知ったのは数週間前で、面識もありませんでした。

それなのに思い出す度に胸が締め付けられて、吐き気も感じます。

こんなのは記事にすべきでないとは思いますが、少しだけ気持ちを整理したいです。

無意味で、何時もに増して自分勝手な記事となり、申し訳ありません。

 

 

 

 父方の祖母の妹、僕にとっての大叔母について知ったのは、わずか数週間前の事でした。

末期ガンに侵され幾ばくもない事を悟り、兄である祖父に遺産を全て託すと

言ったのがきっかけでした。

老人ホームでの生活もあり、遺産を目当てに社交辞令が重なることもあったためか、

遺産を渡したくない相手がいたのでしょう。

しかし祖父は、すんなりと受け取れる気持ちにはなれませんでした。

 

 

 

 そこで長男である僕の父に話を持ちかけ、法的にも丸く収まる手続きを探すために

あちこち調べに当たることになりました。

ほぼ毎週のペースで祖父のもとへ訪れ、連絡も頻繁に行っていました。

遺産の相続とは、とても面倒な手続きがあるようでした。

生前相続では相続税が高くついたり、そもそも相続の意思として有効な証明として

遺言書を作成する必要もあり、証明の書類なども必要でした。

何としてでも事を慌だたせないためにと、父も必死でした。

 

 

 

 その最中でした。

今週月曜日の深夜11時、大叔母は適当な口実をつけて老人ホームを抜け出し、

タクシーを拾って祖父母の家に着いたのでした。

長い時を共にした生家の庭に立つ、栗の木に縄をかけて、

自ら命を絶ちました。

 

 

 

 自殺とは思えないほど、その顔立ちは綺麗だったと聞きました。

昔はご遺体の鼻や口に綿を詰める事があったそうですが、今ではそのような

ことはないそうです。

ともかく、苦しみを思わせる表情はなかったようでした。

 

 

 

 これは後日談になりますが、大叔母が自ら命を絶つ二年前、既に自身の葬儀に関する

手続きを済ませていたのでした。

納骨、遺灰、戒名、あらゆる手続きも済まされ、費用も全て前納で万全の体制でした。

どうしてここまで大仕掛けをしたのか、それなのにどうしてわざわざ、

相続について祖父に訪ねてきたのか。

もう確認する術はありませんが、何にせよ自分ことは自分で決めたいという意思の

強かった人だから、そうした流れには両親ともに納得のようでした。

笑えそうで、全く笑えない話なんですけどね。

 

 

 

 一度も顔を見たことのない大叔母のこと、それでも確かに僕と血の繋がった人でした。

たったそれだけ、殆ど赤の他人と何ら変わらない人です。

それなのに胸が苦しい、焼き付いたまま離れない。

 

 

 

 どうして、自分で自分を殺したの?

寂しかったの?痛かったの?もう十分に生きられた?

何も知らないまま生きていた僕は、なんて残酷なんだ。

こんなに近くにいたのに、何も出来なかった、何も話せなかった。

 

 

 

 ある友人にこの事を打ち明けると、その人も言葉を失いました。

「うちでも同じような事があったけど、抗がん剤で頭もやられちゃったから

 理由なんて考えなくて良いよ、今はおばあさんのためにお祈りしてね」

冷静になれば、それが一番合理的で納得にいく話でした。

それなのに受け止められない僕は、ただ自分が可愛いだけなのか。

何も出来ないくせに一人で喚いて迷惑なら、もう誰とも関わらない方が良いのか。

何をやっても、何を思っても、僕は偽善者にしかなれないのかな。

誰かが命を絶ったのに、自分のことばっかり考えて。

誰に謝れば良いのか、もう何も分からなくなっていた。

 

 

 

 喪に服したような気持ちで暫く過ごしていると、誰かと会うのが怖くなりました。

思い込みで誰かを傷付けてしまうのが怖かったから、でも本当は自分が

傷付きたくないからなのかも知れない。

これからずっと、こんなことが続くのかと考えると、

明日が怖くて、もうどこにも行きたくなくなってしまうのに、

僕はどうして、命に執着してしまうのか。

やっぱり、人生は説明の付かないことばかりですよね。

 

 

 

 本日は障がい者介助のグループホームでの泊まり介助がありましたが、

無邪気でちょっと手に負えない利用者さんと過ごすうちに、

少しだけ気持ちが晴れていきました。

そして今朝、利用者さんをご両親のもとへ送迎する間の空き時間に小さなアルバムを

見つけ、開いてみると、そこにはクリスマスパーティの風景がありました。

サンタクロースの格好をしたコーディネーターが利用者さんにプレゼントを渡し、

大皿の料理を囲んで満面の笑みを浮かべていました。

それに釣られて僕も笑っていました。

 

 

 

 今の当たり前が何時か終わってしまうこと、それも悲劇的な形で、

そう思ってしまうことが以前より多くなりましたけど、大切なのは、

このひとときを明日にも運べるように生きていくことなのかも知れません。

納得のいく理屈なんてないけれど、それが幸せというものなんでしょうね。

 

 

 

 この記事を書いている今、遠くどこかで誰かが死んでしまったかも知れない。

それに悲しんで、薄暗い曇った日々を過ごす人もいるかも知れない。

けれどその闇が深いなら僕たちは光の眩しさを知って、追い求めることができる。

無くなって初めて、有ることに気付いて、

悲しみを知って初めて、喜びを知る。

光と影が一緒に生きているこの世界の神秘と言うしか、言葉はありません。

初めから結論のない話ですけれど、やっぱり結論は出せません。

僕がこうして生きているのはとても悲しくて、とても嬉しい毎日です。

 

 

 

 顔も知らないおばあさん、ごめんなさい、ありがとう。

今でも分からない事ばっかりだけど、初めてあなたの名前を知りました。

あなたに会えなくて喚いたけど、僕からの勝手な約束をずっと先、

一緒になれたら聞いてくれるかな。

聞こえるか分からないけど、お祈りが届くと良いな。