さて、本日は僕が好きなバンド「それでも世界が続くなら」のセカンドミニアルバム
『52Hzの鯨』の発売日というわけで、早速購入しました(^^)
昨日の時点でフライングゲットした方も多くいらっしゃりましたが、生憎昨日の名古屋は
大雨と暴風で大変危険な状況だったため、本日に見送りました(汗)
相変わらず慣れないレビューですが、気合を入れて書いていきたいと思います!!
ご存知の方も多いかも知れませんが、本作は元々の発売予定日を前倒しにして
シングルからの曲数を増やしてのリリースが決定した作品となりました。
というのも7月20日に発売されたタワーレコード限定シングル『狐と葡萄』が
オークション等で高値で、それも未開封のまま転売される事態が発生したからでした。
バンドメンバーやスタッフの方々のTwitterを見ると、そのことについての痛ましい
コメントがあったのを覚えています。
レーベル移籍後、バンドの再生を掛けた第一歩にこのような心無い出来事があったのには、
一人のファンとしてとても残念でした。
前置きが長くなりましたが、内容に入りたいと思います。
今回のシングルはタワーレコードでの購入者特典として
篠塚さん作の例のウサギの缶バッジが付いてきます(^^)
小粒ながら、サービス精神を感じられて嬉しいです!!
ジャケットイラストは恒例のおおはましのぶさん作で、ジャケット表(左画像)は
おおはまさんのCD付き絵本「光の1日」の1ページ目となっています。
海の中に差し込む光が美しい一作で、これまでのバンドの印象とは異なります。
ジャケット裏(右画像)はインディーズ時代のセカンドアルバム
『この世界を僕は許さない』の歌詞カード内の挿絵とよく似た構図となっています。
本ミニアルバムの題名にある「52Hzの鯨」とは現存する鯨のことで、
「世界で最も孤独な鯨」と呼ばれています。
通常、鯨の声には10~39Hzの音域があり、その声で仲間とのやりとりをします。
しかし52Hzという音域は鯨としては明らかに高く、どんなに大きな声でどんなに近くで
呼びかけても、他の鯨の聴覚にはその声が聞こえません。
それが52Hzの声で鳴く鯨の、孤独の所以です。
すっかり定番となっている、CDをケースから外した時に読める篠塚さんの手紙からは、
どうしてこのような題名になったかが垣間見えるかと思います。
因みに本作の歌詞カードや篠塚さんからの手紙を含めて、全ての文字が縦書きと
なっており、歌詞カードを手に曲を聴くと一つ一つの言葉が身に染みていくのを感じます。
1曲目の『弱者の行進』と2曲目の『狐と葡萄』は7月20日発売のシングル
『狐と葡萄』からの曲で、アルバムでは曲順が逆となっています。
(過去のレビューはこちらです!!)
先月、名古屋のSiX-DOGでワンマンライブ『再生』を聴きに行った時にも
演奏された曲で、今ではとても思い入れの強い曲たちです。
アンコール前、最後の曲に『弱者の行進』が演奏され、
「間違いの答案でもよかったのかな」の残響が今でも忘れられません。
二曲ともに誤解を恐れずに申しますと、このバンドとしては音楽的に王道な仕上がり
だと思いますが、過去の音源を振り返るとそれがとても新鮮に感じます。
これまでに歌い続けた生への執着や理不尽に対する悲嘆を残しつつ、後ろ向きで
歩くようなポジティブさというべきでしょうか、彼らにとっての前向きは
こういう姿で、ある意味とてもひねくれ者なのでしょうね。
ライブでは立ちっぱなしの僕たちを気遣って篠塚さんが「みんな座ろう」と
声を掛けたのに、アンコールになると「みんな座っているけど、俺たちはずっと
立ちっぱなしだよ」と天邪鬼な事を言った時は面白いバンドだなと思いました(笑)
3曲目は『ベッドルームのすべて』
ウェブラジオ『深夜学級』で先行放送された曲ですが、率直にベースと
ノイズギターが格好いいです(^^)
音楽としての爆発力はこの曲が間違いなく一番!!
『深夜学級』で篠塚さんは元々この曲を一曲目にするつもりだったと語るほど、
このミニアルバムでは重要な曲となっています。
『狐と葡萄』に続く曲として、文字通りの負け惜しみと諦められない気持ちが
更に次曲へと続いていきます。
「ただ ほっといてほしかった 構われたいくせに」負け惜しみ、
「わざと誰にも好かれない様に 嘘ついてたら ただただ虚しくなっ」て、
「全部どうでもいいと投げ出して 布団に潜」っても「布団の中から手を伸ばす」
自暴自棄や悪あがきでも前向きだ、なんて知ったことか!!
言葉では理解されないでしょうけど、僕の過去にもそんな気持ちがありました。
その当時は何でも良いから慰めが欲しくて、けれど音楽を聴いても本を読んでも、
その気持ちを言い当てる言葉が見つかりませんでした。
けれど、今になって出会ったこの曲はそのもどかしい気持ちを歌ってくれた唯一の曲です。
4曲目は『11月10日』
ライブで聴いた時から忘れられない名曲で、CD音源で再会した時も涙ぐんでしまいました。
CD音源とは思えないほどライブにとても近い演奏で、それせかのライブならではの
歌詞にはないアドリブや、残響の中でなお語り歌う姿はあのライブを思い出します。
優しいから傷ついて、自分を捨ててしまう誰かがいて、少数者として言葉を失って
悲しんで、けれど争う人も被害者も加害者も同じ人間だったこと。
みんな正しくて、みんな間違っているから仲良くできるはずだから。
「『私の世界が終わってくれますように』
その君の願いが叶わない様に 願っていたんだ」
素敵です、これ以上言葉はありません。
5曲目は『着衣の王様』
アコースティックギターによる弾き語りの曲です。
題名は間違いなく童話の『裸の王様』から来ていますが、
そんな王様が服を着るとどんな姿になるのでしょうか。
王様はきっとワガママで見栄っ張りで、誰からも嫌われていたのかも知れない。
そんな王様は誰にも見えない、在りもしない立派な服を着て、
醜い姿を晒して歩いていた時、少年から「裸の王様だ!」と言われた。
その時、王様はどんな思いをしたのでしょうか。
それから新しい服を着てみれば、少しは映えるものか。
結局服は服、王様は王様で、醜い姿は何も変わりません。
「だせーだろ こんな僕が」
「くだらねーだろ こんな自分が」
それでも生きて、嫌われているうちにそれが本当の自分だと知るかも知れない。
同じような嫌われ者がどこかにいて、仲良しになったりして。
誰だって他人同士で、同じ人なんていないから。
格好悪い自分でも、それはそれで良かったと思える日が訪れたら、
それはどんなに嬉しい事なのでしょうね。
6曲目は『最終回』
こちらも確か『深夜学級』で先行放送されたと思います。
切なくも表情豊かな演奏に聴き惚れてしまいます。
どのパートも見事で甲乙が付けられませんが、ライブで『水たまりの成分』を聴いて以来、
菅澤さんのギターがとても好きで、この曲の後半部分も胸が締め付けられました。
青臭い物言いですけど、僕自身の青春の傷に触れられた気分になりました。
今でこそ仲良しですけど、高校時代に他愛もないような事で喧嘩して、
半年くらい顔も合わられなかった友達がいて、その時の矛盾だらけの
気持ちは、この曲にとても似ています。
仲直りしたいのに、そんなのは無理だから何時までも恨んでやる。
他の友達と相談もするのに、解決なんてどうでもいい。
誤魔化すばかりの毎日が虚しくて、何で生きているかが分からなくなった
日々がありました。
『深夜学級』で篠塚さんが初めて僕のコメントを読んでくれて、
その時の返事が今でも忘れられず、ここでもう一度思い出しました。
「演奏する時は何時も自分の事を振り返りながら歌っているけど、自分の曲を聴いて
同じように振り返る人がいて、一緒にライブしてくれているのが嬉しい」
ライブ、文字通り「生きること」そのものなんですね。
その場で交わることがなかったとしても、色んな境目を超えて寄り添ってくれる、
それがこのバンドの音楽、そしてライブだというのも改めて実感しました。
7曲目は『誰も知らない』
イントロの時点で妙に聞き覚えがある・・・。
ワンマンライブの後半でそれせかの名曲の一つ『自殺志願者とプラットホーム』が
演奏されましたが、アレンジされた伴奏がこの曲と本当にそっくりでした( ̄▽ ̄;)
試しにこの曲を伴奏に『自殺志願者とプラットホーム』を口ずさむと
ほぼ当てはまって、たぶん予想は間違っていなかったです(笑)
軽快なメロディーの背後に揺らめくリバーブギターがどこか不気味で、
「折れた両足」の歌い出しは初めて聴いた時から相当な衝撃がありました。
全体としてポップで明るい曲でありながら、言葉はまんま、それせかです。
両足があるから走れて当然、流行っているんだからあの映画や音楽も知っていて当然。
でも両足が折れているから走れない、自分には自分の好きなものがあるから。
無理矢理合わせていたら、そんなのは自分ですらなくなってしまう。
誰だって多数派で、誰だって少数派だから、誰にとっての「当たり前」なんてない。
それでもついつい「当たり前」と言ってしまうから、誰かを傷付けてしまう。
「自分が正しいと思うことは もう既に暴力」「その普通で僕らは狂いそうだ」
過去にもこんな風に歌っていましたが、この曲に限らず今も同じことを
歌い続けているなと思いました。
傷付けられるのは嫌なのに、知らないうちに誰かを傷付けている日常の残酷さ。
それでも何やかんや生きている、前向きなのか後ろ向きなのかサッパリ分からないですが、
このヤケっぷりが彼ららしいです。
8曲目、アルバムの最後を飾るのは『死なない僕への手紙』
アルバムの題名が発表される以前にsecret liveとして公開された曲で、アルバムでは
再レコーディングされたものが収録されています。
生まれてきたのに理由はない、黙って考えれば当たり前なのかも知れません。
それなのに生まれた時から生きる理由を求めて、求められて、
自分はダメな人間だと思い込んでしまうのはどうして。
良いとか悪いとかも勝手に決められて、分かったような顔で歌われるのが辛かったり
不愉快だったりする人は必ずいるはず。
僕だって流行りの曲が歌うような夢や理想や、有り触れた名言にウンザリした一人です。
無理に分かったような振りしなくても、良かったんだと思います。
分かった気になって生きるのを諦めるよりも、分からないまま生きていた方が、
少しは楽しかったりするんじゃないかな。
ミニアルバム全体を振り返っても、やっぱり上手い感想なんて言えません。
僕たちもまだ生きている最中で大きな問題を前にした「生徒」なんだと、
ただつくづく思いました。
今までのアルバムは「それでも世界が続くなら」というバンド名に続く文章が
題名になっていましたが、本作からは趣を異にしていた事についても興味深いです。
8曲全てから「それでも」と意気込みがヒシヒシと感じられて、一人の聴手として
思うに、もはや題名にしなくとも伝えられるだけの音楽性を彼らが身につけた
事の現れなのか、或いは今までの何かとの決別のようです。
「52Hzの鯨」はこのバンドだけではなく、この音楽たちを通して言えなかった事が
あったのに気付いた僕たちも、その鯨の一頭なのかも知れません。
何も不自由していないと思っていたのに、こんなに沢山言えない事たちに
囲まれていたのに気付かされました。
遅すぎて悔しくても、取り返しの付かないこともありました。
それでも世界が続くなら、あんな事ともこんな事ともそのうち再会して、
そこからやり直せるのかも知れなかったり。
今日まで生きて、この宛名のない手紙を受け取ることができて嬉しかったです。
次回のライブには予定が上手く合わず行けなくなるかも知れませんけど、
また『深夜学級』や手元の音源に耳を傾けながら、ひっそりとライブしたいと思います。
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