さて気付けば月も変わってしまいましたが、
今回は僕の仕事(バイト)風景について書いていきたいと思います。
これをきっかけに障がい者介助の仕事について興味のある方でもない方でも、
少しでも親近感を持って頂けたら嬉しいです。
毎週金曜日はと或る利用者さんを職場からグループホーム(その職場とグループホームは
同じNPO法人によるもので、リサイクル工場やパン工場など様々です)まで送迎して、
その後はグループホーム内で身の回りの様々な介助を行う日になっています。
ところがこの送迎、一見簡単に見えて難しい所や葛藤する所がとても多いです。
というのもその利用者さんは知的障害に加えて半身麻痺があり、特に外で行動する時は
じっと立っているのが難しく、歩行中は足元がふらついてしまいます。
そのため介助者は利用者さんの腕を引きながら足元を見つつ転ばないように、
安全にグループホームや実家まで送り届けるのが大切な仕事です。
ところが利用者さんにもそれぞれの興味や性格があって、誰でもとにかく自分に素直。
これは障害の有無とは全く関係のないことですが、興味がある何かを見掛けた時や
帰りまでもう直ぐで気持ちが早まった時にはそれが災いしてよそ見や
駆け足に繋がって怪我を招くことがあります。
実際に歩行中の転倒で前歯を折るという惨事もありましたし、僕自身も不手際で
段差を見落として転んだ時に、擦り傷を負わせてしまったことがあります。
このような事態の一歩手前も何度かあり、それを福祉業界では「ヒヤリ・ハット」
と言って、文字通りヒヤリとした場面、ハッとした場面を介助者で共有することで
再発防止に努めています。
それでもやはり駆け足で転倒しかける事態が相次ぐため、本人自らがゆっくり歩いて
もらうのが一番の再発防止になるわけですが、ここにはとにかく頭を抱えます。
例えば口頭で注意したり、走り出したら静止して歩くように促したり、
色んな方法を試したりしましたがそれほどに効き目はなく・・、という状況でした。
時は一週間前の金曜日に遡りますが、最近グループホームでの泊まり介助に入られた
方がいらっしゃって、その方とは21時からの仕事の引継ぎの際に状況報告をして、その後は
他愛もない雑談をしたりと、そんな感じで認識も少しずつ深まっていきました。
その方は高齢者介護にも関わられていたため、名古屋の福祉業界の暗い側面をお話から
垣間見ることもありましたが、一方で福祉業界での経験は僕なんかよりも長く、
障がい者介助とは別の側面での見方もあったため、とても勉強になりました。
その日の引継ぎの際、利用者さんの外での歩行介助の大変さについて触れながらお話を
しつつ、ある提案を実践する中で少しずつですが落ち着いて歩くようになったと言います。
その方法とは予め約束を決めてそれを達成したら褒める、というとても簡単な方法でした。
「やっぱり誰でも『ダメ』って否定形で言われたらやる気にならないし素直に聞いて
もらえないから、肯定形で『~~してくれる?』って提案して、それが出来て
褒められたり認められたりしたら気持ちいいじゃん?
例えばここに帰るまで『今日は走らず歩いて帰るの約束しますか?』って決めて、
それで走らずに帰れたら『今日は歩いて帰ったね、偉いじゃん!!』って褒めたらやっぱり
喜んでいて、褒めるのって簡単そうだけど、やり慣れていないから難しいよね。」
まさに目からウロコでした。
確かに以前よりも落ち着いて歩いているなと気付いた裏には、そんな約束があったとは。
思えば僕も以前の失敗があってついつい否定形で声を掛けていましたけど、
来週からは気を付けないと。
そして一週間後、今週の金曜日のことでした。
ロッカールームで着替えをして水分補給をしてもらった後、利用者さんに一声。
「今日はおうちまでゆっくり歩いて帰ろうね、約束してくれる?」
うん、と頷いてくれました。
そして職場を出発して、最寄りの駅まで徒歩で向かうことに。
やはり駆け足になりかける所がありましたが、少し立ち止まってもう一声。
そこで少しペースを落としてもらいました。
「今日は歩いて帰ろうね、もうちょっとゆっくり歩こうか」
もう一度頷いてくれて、そこからはゆっくりと、駅まで向かうことが出来ました。
「うん、いいね!! その調子で頑張ってみようか!!」
ちょっと大げさに褒めてみると、思いのほか喜んでくれて、
そこからは帰った後の予定や近日の余暇について、他愛もないお喋りが続きました。
たったそれだけの事でそのまま何事もなく、焦ることもなくグループホームに着いた
時は恥ずかしい話、とても驚きました(汗)
「偉いね!! 最後まで歩いて帰れたじゃん!!」
こんな大げさな褒め言葉にも喜んでもらえて、僕まで何だか褒められた気分でした。
今まで悪いことをしたというか、僕もまだまだ人と接する能力がないなと振り返りつつ、
その日の事を受けて少しでも成長できたのは、ほかならぬ利用者さんのお陰でした。
これが僕が理想にしていた、共生社会の在り方の一つなのかな。
これからもずっと、安心して歩いて帰れる日を一緒に支えていかないとね。
ところで、その日の出来事から中学校の英語の先生から頂いた言葉を思い出しました。
ある授業の日、生徒に対して「この地球に人種は何種類存在するか?」
という質問が振られました。
その生徒は「白人、黒人、黄色人種で・・、三種類」と答えました。
そうしたらば、先生は直ぐにNoと仰りました。
「違います、人間は霊長類ヒト目ヒト科、人種は一種類です。」
「人種」と聞くと真っ先に国籍や肌の色の違いを思い浮かべると思いますが、
文化の違いという点では、障がい者介助も身近な異文化交流の一つだったと思います。
もちろん障がい者介助の他にも実際に留学生と交流をしたり、在日朝鮮人の人権問題や
ルワンダの大虐殺からの癒しと和解のプログラムについての講演にも参加させて
頂いたりと、様々な機会に恵まれた環境がありましたが、その中で思ったのは、
表現の違いがあっても、叶えたい目的が一緒だったということでした。
脅威に怯えて誰かを攻撃したり、一人ぼっちは嫌だったり、自分たちの事を
理解して欲しい気持ちは誰だって同じことでした。
どんな形でその目的を叶えるかが違うだけです。
ですから、恐怖や偏見を少しずつ解きほぐしていく努力が必要だと思います。
人種も国籍も、文化の違いも本当はどこにもないことを、この仕事を通して、
頂いた人間関係を通して、これからも探していきたいものです。
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