8月16日の記事「父の背中」にて追記がございますので、
本日の日録にて書いていきたいと思います。
普段は口を開かない父からの貴重な言葉でしたので、当時の証言をここにも
記していきたいと思います。
8月16日の記事で書いた「昔の水害」とは後に本人に聞いた所、
昭和47年7月に西三河を襲った47.7豪雨のことでした。
そこで亡くなったのは祖父ではなく父の叔父のことで、当時叔父は消防団でした。
当時は田中角栄政権で、殉職した父の叔父は田中角栄から表彰され、ある時まで
お盆にはねぎらいもされていたと言います。
父の実家のお仏壇のある畳の間の、誰かに向けた表彰状があったことを思い出し、
それについて訪ねたのをきっかけに、この事実を知ることが出来ました。
そういえば僕が小さい頃、両親は記録的な豪雨を経験して家財やアルバムのような
思い出の品々を流されたことを話していました。
少しだけでも、家族の過去のことを知れて良かったです。
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