誰にとっても一番身近な第三者は親だと思います。
しかし、ずっと一緒にいながらも思った以上に彼らのことを知らないかも知れません。
「子の心、親知らず」とは言いますけれど、「親の心、子知らず」も然りでした。
特にそのことに気付かされたのは、父についてでした。
今日と昔のそのことについて、少しお話をしたいと思います。
普段、父は無口で食卓でもそれほど会話に参加することはないですが、
僕たちが困っている時は真っ先に手を差し伸べてくれる、
いわば侍か忍者のような存在感があります。
勿論、親に日頃から支えられていることは忘れませんけれど、
普段は無関心を装ってあまり深い会話がなかったので、父の心の内は
未だに何も知っていなかったと思います。
その父の素顔を少し覗いた時、初めに感じたのは温かさがあったことでした。
お盆ということで両親のまた両親、僕にとっての祖父母の実家への帰省があって
そこで親戚が集まってお墓参りをするのが恒例です。
そして今日は父方の祖父母の家でのお墓参りでした。
あいにく母と兄は仕事があって行けませんでしたので、僕と父の二人で行きました。
思えばこの組み合わせで外出するのは相当久しかった気がします。
祖父母の実家まで車で一時間ほど、その間にお寿司を注文して受け取りました。
頼んだ量はなんと六人分、僕と父と祖父母で四人しかいないのに、
これだけ大奮発する父にまず驚かされました。
「まぁ寿司でも買ったから食べやぁ」
あいにく祖父母は昼食を済ませたばかりで、お昼に食べることはありませんでした。
それにしても今日の父はよく喋る、よく動く。
父の姿を見ると、ちょうど先月のことを思い出します。
祖母は先月、腰を打ち付けて骨折したばかりで、父はそのお見舞いに行っていました。
そして退院後は自分で下ごしらえをしたうなぎの蒲焼をお祝いに振舞ったり、
腰が痛い祖母を気遣って手すりの工事をしようかと持ちかけたりと、
普段は無口で行動の目立たない父とは思えないほど活発で、親孝行な姿がありました。
そして今日もお寿司を大奮発したり、居間の照明用カバーの掃除をしたりと、
見ていて健気で、純粋な愛情がそこにはありました。
どんな大人でも親の前では誰でも子どもなんだと、胸の奥でひっそり呟いたり。
父が生まれ育ったその場所は山々に囲まれていて、道路の両側には田んぼや
透明の水が流れる側溝があって、時々ハヤのような小魚が泳いでいたりします。
畑にはナス、トウガラシ、トウガン、ピーマンがのびのびと育っていて、スーパーでは
まず見掛けないような自由奔放な姿をしていました。
トノサマガエルが足元から跳ね、あちこちから虫の羽音が聞こえる。
昔ニワトリを飼っていた鳥小屋はある時期の鳥インフルエンザをきっかけに
撤去されて久しく、その代わりにキウイが天井にツルを伸ばして実をつけていました。
ここにいると、名古屋で感じる時間の速さを忘れてしまうほどでした。
昼食を済ませると僕と父はお墓参りに向かうことにしました。
線香とロウソク、卒塔婆と水の入ったヤカンを持って、家から少し離れた
山の上の墓地へと足を運びました。
その途中、時々父は道の脇の側溝の前で立ち止まりました。
どうしたの?と尋ねると、父は言いました。
「さすがにメダカはいないな。」
メダカ、思えば今や絶滅危惧種になっています。
ここで生まれ育った父にとって、メダカの学校はとても身近だったのかも知れない。
何故か、僕まで少し切ない気持ちになりました。
墓地にたどり着くと父はヤカンの水で墓石を潤し、その間に僕は卒塔婆を立て、
線香とロウソクに火を灯しました。
一通りのお供えが終わると、父はしみじみ墓石を眺めていました。
そういえば去年、父の祖父の話を聞いたことがあったような。
遠い昔に水害があって、その中で父の祖父は亡くなったとか。
家にはその時の功労を称えた賞状が収められた額縁がありました。
多分、その時のことを思い出しているのかも知れない。
去年はお墓参り中にタバコに火を点けたと思えば、それを
墓石の上に寝かせてお供えにしていたこともありました。
それほどに大切な人が、父にはいたことを思い起こします。
山を降りてからもまた、田んぼの近くを流れる小さな流れを眺めていました。
小さな魚が群れをなして、泳いでいる姿がありました。
これはメダカかな?と僕が聞くと、それはハヤだと言いました。
「メダカはそんな俊敏じゃない」
なるほど、同じ形に見えても動きで分かるのか。
それにしても、妙に難しい言葉を使ってしまうのは父に似たのかなととっさに思いました。
母は仕事柄もあって社交的で、家では僕ともよく話すので自分は母親似だと
ずっと思っていました。
けれど、人にはあまり見せない内省的な姿は父親譲りだと今更気付かされました。
どこかを眺める父の姿は温かみと一緒に寂しさが寄り添っていて、
どう声を掛けて良いか分からなくなったりもします。
まるで自分を外から見ているような、そんな気持ちがあるのは、
父とは血の繋がった子どもだということを意識したからなのかも知れない。
こんなに近くで過ごして来たのに、今日まで全然気付きませんでした。
申し訳ない気持ちもありましたけど、それを言葉にする場所はどこにもなかった。
人は何時か死んでしまうから、いま見ている当たり前も何時かは終わってしまう。
だから今日感じた温かみが、とても怖かった。
お別れの時が来たら悲しくて誰かが泣いて、一人ぼっちの時も訪れる。
それでも嬉しかったのは、父の本当の姿をそこで見ることが出来たことでした。
何時かこうやって僕も、親孝行して感謝を伝えられたら。
いま暫くお世話になっていくけれど、今日のことを忘れないように、
また明日を迎えたいと思います。
「ありがとう」と「ごめんなさい」
その気持ちを何時か、伝えられる日を想って。
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