8月6日、今日は広島を襲った悲劇から71年目となりました。
我が家では朝日新聞を取っていますが、第一面に上げられたのはリオ五輪開幕で、
肝心の広島原爆については同じ面の小さな見出しに抑えられていました。
同新聞は沖縄で基地を巡って、国家権力が暴走しているにも関わらず、
第一面にポケモンGOを引っ提げて沖縄について全く触れなかった日もあり、
報道姿勢の萎縮や無責任さを感じていたばかりでした。
戦争を拡大させた責任は国家権力だけではなく、報道による世論操作や
話題の逸らしに大きな原因があったことはイラク戦争で証明されたにも関わらず、
同じ過ちを繰り返そうとするこの動きを見逃すわけには行きません。
僕は戦争を目の当たりにした世代から離れていますが、定期的に老人ホームでの
コミュニケーションに参加させて頂く機会に恵まれていたため、戦争を体験された
方々の生の声を聴くことができました。
愛知に原爆は落ちませんでしたが、戦争はもう二度と、あんな悲劇はあってはならない。
誰しもが平和を願っていることに、気付かされました。
ある女性の方は90歳を超えた年齢でしたが、学徒動員によって工場に
借り出されていた時のことを話して下さりました。
愛知県は当時からトヨタのお膝元というわけですが、当時「豊田自動織機」と
名乗っていた工場で作られていたのは決して織機ではありませんでした。
人を殺すための銃が作られ、当時小学生だったその女性はその銃の先に付ける
銃剣を作らされていたのです。
このような出来事は決して教科書では語られなかったでしょう。
他でもない人を殺すための武器、それを作る少女の気持ちとは一体どんなものだったのか。
ご本人からは最後まで当時のお気持ちをお聞きすることは出来ませんでしたが、
個人の尊厳のためにも、これ以上踏み込んではいけない気もしました。
またある方からは、物資を積んだリアカーを引いて数キロまで歩かされた
というお話をお聞きすることができました。
「女子供まで借り出して、そんな国が戦争で勝てるはずがない」
本音をずっと胸に秘めながら誰もそのことを言わない人、ただただ盲目的に
大日本帝国は勝ち続けているという偽りに鼓舞される人、混沌の中で
正気を保つことの困難を、僕には想像が出来ませんでした。
多くの方々とお話をするうちに、僕の祖父母の家にも戦争の痕跡が
残っていたことを思い出しました。
家の裏口から出てすぐに見える山肌に明らかに人工的な横穴が空いていて、
そこは大人が屈んで2・3人くらいがやっと入れる程度の広さがありました。
空爆を逃れるための防空壕が実際、これだけみすぼらしいものだったと初めて知りました。
教科書では決して語られない、市民が見た戦争の風景をこれからもどこかで
語り継がなければいけない、そう覚悟しました。
戦争をしたいという人間は恐らく、戦争に巻き込まれた人の気持ちを分かろうと
しないからそう考えるのだと思いますから。
ちっぽけな民族にとっての正義がちっぽけな国の中にあったとしても、
人間としての正義はそこにはない。
しかしながら再び日本は、「国旗と元首」という時代に逆行する選択を繰り返し、
ついには憲法9条の国としてのブランドも失墜しつつある状況です。
先月はバングラデシュで日本人が殺害される事件が発生しましたが、日本人だと
名乗ったのが原因で射殺されたことは表立って報道されることもありませんでした。
報道から消えた事件の裏とは、このようなものだった。
先の都知事選、そして内閣改造後の人員も戦後の未来として相応しい姿だったでしょうか。
右派と呼ばれる考えは全世界にありますが、日本国内にいながら「日本人として」
という語り口には、世界の右派も驚きを隠せないと言います。
「この国は何かぼんやりしたものでどこかに導かれている」
2005年のある集会で大江健三郎さんが仰ったように、酷く曖昧なイメージだけで
意図的にぼんやりと危険な方向へと導く流れが今までにあって、その結果が今、
こうして目に見える結果として表れたと言える。
娯楽と騒音が蔓延り、人間同士の敵愾心と差別意識が明確に牙を剥き、
様々な事件が起こってはそれに見ないふりをして傍観者を決め込んだ、
決して僕たちの日頃の在り方と無関係ではありません。
だからこそ、立ち止まって考えなければいけない。
抗わなければ何時か、同じ失敗を繰り返してしまう。
戦後まもなく未来に対する危機感を持ち、自らの子供たちに言葉を託した人がいました。
長崎原爆で被爆しながらも、医師として生涯を全うした永井隆博士でした。
最後に、僕の浅い経験で話すには限界がありますので今一度、
永井博士の遺言である『いとし子よ』の一文を一緒に読んでいきたいと思います。
立ち止まって、今という時を振り返りたいと思います。
<以下、引用>
戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやりだしたときの名分なんかどこかに消えて
しまい、 戦争がすんだころには、勝った方も、負けた方も、何の目的でこんな大騒ぎを
したのか、わからぬことさえある。
そして生き残った人々はむごたらしい戦場の跡を眺め、口を揃えて『戦争はもう
こりごりだ。これきり戦争を永久にやめることにしよう』
・・そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、何となく
もやもやと戦争がしたくなってくるのである。
私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。
我が子よ。憲法で決めるだけならどんなことでも決められる。
憲法はその条文通りに実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しい
ところがあるのだ。
どんなに難しくても、これは良い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ。
しかし理屈はなんとでも付き、世論はどちらへもなびくものである。
日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、「憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ」と叫ぶ声が出ないとも限らない。
そしてその叫びにいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本の再武装に
引き付けるかもしれない。
もしも日本が再武装するような時代になったら、その時こそ、誠一よ、かやのよ。
たとえ最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと
戦争絶対反対を叫び続け、叫び通しておくれ。
敵が攻めだした時、武器が無かったら、みすみす皆殺しされてしまうではないか、
と言う人が多いだろう。
しかし、武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るだろうか。
オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。
ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。
愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、
平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。
永井隆 『いとし子よ』より
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