今から三年ほど前、中沢啓治さんの名作『はだしのゲン』について
島根県松江市の教育委員会が児童に貸出を禁止するよう要請したことが話題を呼んだのを
覚えているでしょうか。
日本国内に限らず、このニュースは海外でも報じられました。
その理由には過激な暴力描写があり、「教育には不適切だ」という見解がありました。
その頃は第二次安倍政権発足の翌年で、例えば南京事件や「いわゆる」従軍慰安婦問題に
ついて歴史認識としてそもそも間違っているという発言があちこちで散見されました。
因みに僕の住む名古屋の河村たかし市長も「南京事件はなかった」と、
とんでもない発言をしたのを覚えています。
しかし一方、人類史上初の原爆使用国で今もなお国民の約六割が広島・長崎への原爆投下が正しかったと認識しているアメリカでさえも同作品がeducational comic、
教育漫画として認定され、日本とは真逆の扱いを受けていることは興味深い事実です。
さらに同記事に依りますと、日本の世論で原爆投下が正しかったと認識したのがたった
二割にも満たなかったのが皮肉に思えます。
ことは原爆投下に留まらず同じく第二次大戦期の事柄を挙げると、例えばドイツでは
ナチスによるホロコーストについて自国が行った残虐な行為について教科書に明記する
だけではなく、実際にアウシュビッツ収容所を見学するプログラムまで
導入されていますし、イタリアではムッソリーニ政権によるエチオピア侵略について
教科書では数十ページに及んで書かれています。
その努力が実り、現在イタリアとエチオピアはとても友好な関係を保っています。
もちろん教育目標の設定だけではなく、外交の成功もそこにはありました。
少なくとも、僕が高校生だった頃の教材(2009年辺りに出版されたもの)にも
「いわゆる」従軍慰安婦のことや南京事件、並びに旧日本軍が侵略したアジア地域での
人体実験についても僅かながら言及されていましたが、
今の教科書は一体どうなっているのでしょうか。
そもそも、一体何のための教育なのでしょうか。
道徳の教科化についても歴史認識における政府見解の導入についてもそうですが、
権力者にとって望ましい人材を育てることと、事実そのものを学び自由な心を
育てることとは全く正反対のことです。
敵がい心や差別意識が生まれるようなものは教育ではありません。
根本的に差別や偏見は学びや触れ合いの至らなさから生まれるものなのに、
それを教育の名のもとで推進されるのは本当に天邪鬼です。
少し話題を広げすぎましたが、本日録のタイトルに立ち返りたいと思います。
「教育には不適切」という言葉をよく耳にしますが、僕たちはある出来事を学ぶ上で、
時には絶望的な光景を目の当たりにすることは避けられないと思います。
そして僕たちには「恐怖」という普遍的な感情が備わっていて、それに基づく記憶は
何よりも鮮明に残るものです。
例えば僕が小学生だった頃、友達と遊んでいた頃に無理をして公園の柵を
飛び越えようとして足を引っ掛けて、そのまま転んでアスファルトに
頭をぶつけたことがありました。
今まで見たこともないような量の血が滴り落ちて二針縫うこととなりましたが、
それをきっかけに、二度と柵を飛び越えようと考えなくなりました。
多少の差異はあれど、おおよそこのような経験はどなたでもされているはずです。
経験だけではなく歴史を学ぶ上でも、このような恐怖体験があると思います。
今でも覚えているのは、中学生の頃に広島の平和記念資料館を訪れた時でした。
夏休みも半ばの頃、父が出発前夜のうちに予約をしてその晩に出発という
ドタバタスケジュールだったことを今でも覚えています(笑)
資料館を入ると真っ先に目に飛び込んだのは、原爆投下後の爆心地のパノラマでした。
おぞましく髪の毛が逆立ち、両手を幽霊のように垂らしながらヨタヨタと歩く、
血だらけで真っ赤な人々の模型がありました。
お話によれば、こうやって歩かないとただれた部分が痛んでしまうからだそうです。
分厚い噴煙であたりは闇に包まれ、その中で煌々と燃え上がる退廃した街、
地獄というほかない光景でした。
その先を進むと、当時を物語る遺品や実際に被爆された方々が
描かれた絵もありました。
真っ赤に焼けただれ消防用水槽で息絶えた人々。
もはや表情が分からないほどに黒く焦がされた少女の顔。
熱風でドロドロに溶かされた三輪車。
中身が詰まったまま開かれることがなかった丸焼けの弁当箱に水筒。
それらが物語ることは、実際にその場に居合わせなければ分からなりません。
展示の最後を締めくくるのは、原爆が炸裂した位置とそれによって
被爆した地域の縮小パノラマでした。
あの小さな爆弾によって、これだけ広い地域を火の海にしたことが
何よりも忘れられませんでした。
同じ箇所では第二次大戦後の戦争、とりわけベトナム戦争についての写真も
展示されていましたが、その中の一枚が未だに忘れられません。
その写真とは、グレネードランチャー(爆発物を発射する銃器)が直撃して殆ど
首と皮だけの姿になったベトナム人の頭を自慢げに掲げるアメリカ兵の姿でした。
これが戦争でした。
戦争の中で人は理性を失って野獣になってしまうのだと、思い知らされました。
これらを見たら、戦争に正義など存在しないと気付かされるはずです。
教育を通して事実を学ぶと、このような悲劇をも目の当たりにします。
事実そのものに対して「教育には不適切」と言って封殺する姿勢は教育への、
そして歴史への挑戦ではないでしょうか。
例えば戦争とはどのようなことか、血の通わない教育はこのような
事実を伝えることはないでしょう。
高校時代、僕のクラスを担任した日本史の先生は卒業前最後の授業に
「賢者は歴史に学び、愚か者は経験に学ぶ」
と仰りましたが、今になってようやくその意味が分かった気がします。
良いことも悪いことも人類はずっと繰り返したわけですが、そこから学ぶことによって
より良い未来へのヒントへ導かれるのですから、軽く扱ってはいけないと思いました。
好き嫌いとか、自虐史観とか、そんなものは関係ない。
起こってしまったことに後からそんな名前をつけても何も変わらないのですから。
しかしながら、悲劇は繰り返されました。
その一つが、福島第一原発事故でした。
この事故と第二次大戦とは決して無縁のものではありませんでした。
原発を作るのに必要なウラン濃縮や再処理と言った危険な方法は戦時中の
マンハッタン計画によって生み出されたもので、核廃棄物の代表格である
プルトニウムもこの計画さえなければこの世に生まれていなかったものでした。
その方法は今も変わらず、戦時中の技術なのので経済性や安全性などは無視されています。
福島の人々は今も故郷を奪われたまま、次々に補償も打ち切られようとしています。
政府は今も原発を推進しています、そして原発の狭い建屋内に
行き場のないプルトニウムがどんどん溜まっています。
そのことを隠すかのように特定秘密保護法と集団的自衛権の行使合憲化が数の力で
強行され、経済という言葉によって今回の選挙も論点が曖昧にされました。
憲法の改正にも意欲を示し始めた今日、果たして変えるばかりが良いことなのでしょうか。
ぼんやりと、考えず何となくのうちにこうした不正の歴史は繰り返されるのです。
僕たちのいる現在は、本当に歴史から学んだ上で成り立っているものなのでしょうか。
少なくとも僕はそうは思いませんし、時には希望を失うこともあります。
しかし、こうした不正に立ち向かうべく戦う人々が今もいます。
地元の市議会議員かも知れない、ママさん運動の参加者かも知れない、
あなたの大好きな歌手やイラストレーターかも知れない、必ずそういう人たちがいます。
実際僕がここで書き込んでいる内容の多くは、学校や講演会の場所で勇気を持って
発言して下さった方々の言葉を用いています。
中にはそうした活動によってずっと下の地位に付けられた方や、家の庭にガラス片を
ばら蒔かれたりと乱暴な目に遭っている方もいらっしゃりますが、決して暴力で
こたえず、今も言葉と真実に基づいて活動していらっしゃります。
その言葉を忘れないためにも、そして少しでも何かが伝わればと思いながら、
日々の記事を書かせて頂いています。
騒音と娯楽の中で忘れてしまうこうした危機感を思い出しながら、
少しずつ前向きに行動していくことが何よりも大切です。
その中で日々学ぶことの意義を、もう一度確かめる必要があるのではないでしょうか。
コメントをお書きください