新作『砂漠の星』

 遅くなりましたが、以前にお伝えしました作品の完成です。

背景、色塗りの修正なし、一本の鉛筆による必要最小限度の表現を用いての

制作となりました。

 

 先月お話した通り、本作は熊本地震を受けての制作で、

もっと早くに発表できればと思いましたが、このような作品は時期や

流行に急かされていい加減な形で制作されるべきではないので、

少々発表を遅らせて頂きました。

砂漠の星 アトリエ-婆娑羅-

 この作品を描くために、僕自身が立ち直るまで少しばかり時間を頂きました。

文字通り絶望との戦いがあって、しかし絶望ではなく、希望を込めた作品を

あなたにお届けすることが、作者としての願いです。

 

 今から4年前、東日本大震災の被害を受けた宮城県七ケ浜町へ

足湯のボランティアに参加させて頂いたことがありました。

1泊2日の短い間でしたが、大切な人や故郷を失った悲しみや

忘れ去られる悲しみ、様々な不条理に触れ、この記憶をいつかは

伝えたい、忘れたくないと強く思い、そして現地の方と約束を交わしました。

 

 それから数ヵ月後、不思議と僕は絵を描くことを覚え、

そして多くの出会いと触れるうちに、自分と他者を繋ぐもう一つの言葉として、

お祈りとして、いつかどこかへ届くように、そう願って制作にあたるようになりました。

 

 七ケ浜町の訪問から三年後に描いた『七ヶ浜の朝』、

そして今年に描いた『水平線に立つ少女』は七ケ浜町の風景を題材にした作品で、

震災の記憶を残すための、僕なりの試みでした。

 

 本作は熊本地震を受けての制作ですが、先の二作と繋がりを持った作品となりました。

一瞬にして大切なものを失い、そのことさえも忘れ去られることがどれだけ悲しいか、

想像を絶することに違いないと思います。

それでもせめて、あなたのことを忘れない、忘れたくないという証立てをしたかった。

 

 その想いを、一時の流行にしたくはなかった。

表現という分野にも常に流行があって、一瞬にして現れ、一瞬にして消え、

誰の記憶にも残らない作品たちが燻りさえも絶やしてしまいました。

表現分野に限らずボランティアやイデオロギーも、震災を利用して

良心を中途半端に満たして、この出来事を消費してしまう人たちも

少なからずはいるはずです。

とりあえずその時々で適当にやれば良い、後のことはどうでもいい、

そんな無責任が積み重なって、悲劇が繰り返されているのです。

 

 忘れてはいけないことは幾つかあります。

その中で忘れていたのは、僕たちは根本的に無力で、この世は不確かが漂っていて、

そして喪失や悲しみが常に隣り合っていることなのかも知れません。

それでも僕たちは、希望を抱くことができます。

砂漠のような乾きがあるのなら、その乾きを感じるのなら、どこかにオアシスがあるはず。

その夜空のどこかに、瞬く星があるはず。

だから悔しくて、悲しくて、打ちひしがれて、それでも諦めずに生きていけるのです。

 

 あなたがどこで何をしているか、生きているかさえ僕には分かりません。

もしあなたが生きているのでしたら、同じ時間を、同じ風景を想っていることを

思い出して頂けると嬉しいです。

僕はそれなりに元気で、こうして絵を描いています。

あなたに届くことを祈りながら。

 

2016年6月13日 婆娑羅桜火