新作"-Ein Morgen-"

 遅くなりましたが新作、"-Ein Morgen-"がついに完成です!!

兎にも角にも多くの挑戦があって、最後まで予想の付かない制作となりましたが、

上手く今まで築き上げたベースとの融合を果たせたと思います(^^)

さてお約束通り、御土産にて本作をベースにした壁紙もご用意致しましたので、

宜しければご利用ください!

それと、前作のフレームなし仕様も用意しないとね・・・。

-Ein Morgen- アトリエ-婆娑羅-

 

 成長、というとどのようなことを思い浮かべるかは人それぞれですが、

僕にとっての成長は長い時間を掛けて築き上げたものに外からのファクターを

上から塗り固めては磨く作業で、それを通してもっと肉厚で多彩な層のある塊を作りながら、

同時に今までの穴ボコを均していくような具合ですね。

過去との連続的な繋がりがあって、やはり経験とは一度出逢えば否定できませんし、

そういう意味でもスクラップ&ビルドで断続的なものではないと思います。

 

 余談ですが、あまり皆様にはお見せできないような過去作も幾らかありまして、

ラフスケッチ等も含めてそれらは全て机の引き出しの中に捨てずに保管してあります(^_^;)

時々中をいじくっていると下手くそな昔の作品が出てきて「うわぁぁ・・・」って

肝が冷えてしまいますが、こういう泥臭い苦労の上に今の作品が成り立っていると振り返ると、

微笑ましくもなります(笑)

 

 僕自身も自覚していることですが、作品にはとても精神的な側面が強く現れていて、

本作もその例に漏れないようでした。

「もっと気楽に描いたら?」とか「色々考えすぎで潰れたりしない?」とか、

時折こんな指摘を頂いたりしましたし、「描くことそのものに理由を求めていないか?」

と聞かれたこともありました。

結論から申しますと、動機らしいものはありません。

強いて言えば過去作の続編を描きたかったとか、ストックしたネタを

実制作に移したかったということこそありますが、それ以上に深いものはありません。

 

 ただ、やはり制作を進めるうちに何処からともなく入り込んでくるモノがあって、

それによって作品の解釈が何度も変わって見事な起承転結が内在するようになりました。

大半は悲観的な入口から暗闇の中を彷徨って、その中にポツリと空いた穴から零れる

光の粒を探すような、フィーリングで言えばこんな感じです。

果てしない悲しみや無力さがあって、それでも僅かな希望が残ることに気付かされますが、

それは僕の中ではまだまだ弱々しくて、疲れた勢いで見失うこともよくあります。

 

 本作はカラー作品の二作目となりますが、何れも僕自身が今日まで

忘れてしまったモノを取り戻すための制作だったのでは、と振り返ります。

原点的な心とは何だったのか、前作はそれを再び見つめ直す大切な機会となりました。

そして本作は、度重なる震災や様々な不条理からの心の復興があったと思います。

無力感に打ちのめされた実感は何よりも強かったですし、何事もない日々を生きる

ことさえ罪深いものだと、自分自身を責めたりもしました。

 絵を描き続けても結局何も残せない、何も変えられない。

才能もなければ名声も何もない、独り言に過ぎない。

気付けば幾らか時間を無駄にして、生きた心地もなく過ごして、絵を描くのも億劫になったのに、

それでもまた鉛筆を持って白紙と向き合っていた。

何度も何度も繰り返して、こうして心と再会できたのはとても嬉しいです。

この再会が何処へ向かうかは未だに分かりませんが、頼もしい旅のお供が

僕のすぐそばに寄り添っている心強さがあって、囁かでもポジティブな何かと出会うことを

もう一度信じてみたくなります。

 

 最後に、本作の主人公アインは僕ととても似たものがあると思います。

彼は平凡で取り上げて優れたものもなければ悲観症に苛まれた、不器用な青年です。

一人になれば苦いコーヒーを傾けながら、朝刊の悲報ばかりを追ってはこうべを垂れる、

そんな風景をかつて描きましたが、仕事の時間にはそれらを一旦忘れて人々の言の葉を

繋ぐ、地味ながらもとても大切な奉仕を行います。

どこか遠くの街では戦争が起こっている、災害や迫害、搾取に苦しむ人々がいることを

アインは知っています。

それでも彼は、この小さな仕事を通して希望を抱いています。

平穏な時間の中での人と人との触れ合いと言葉、奉仕と感謝、

この囁かなひと時を通して、遠くの隣人たちと繋がることができる希望を

彼は誰よりも自覚しているのかも知れませんね。

 

 動画にあるASIAN KUNG-FU GENERATIONの『転がる岩、君に朝が降る』は、

バンドの中で特に好きな一曲で、一期一会の切なさや彼らにとってのロックンロール

そのものと言います。

僕は昔、少しだけピアノを習っていましたけど、音楽の才能にそっぽ向かれて

今は聴く側として落ち着いています。

それでも音楽が僕の制作に与える影響はとても大きいですし、

表現の夢を音楽に取って代わって絵が支えていて、その中でロックンロールをしている、

そんな気持ちがいつもどこかにあったりします(笑)