3.11以降の「報道の自由」

 東日本大震災が発生した頃、僕は高校3年生でしたが、受験で東京の土地を踏んだ時

(結局受験には落ちて、今も名古屋で生活しています)やボランティアという名目で

宮城県を訪問した時、身近にあった多くのものに裏切られたという印象を強く受けました。

 

 

 直ちに問題はないと言われて、震災から五年が経った今も故郷に帰れない人がいる。

「原発さえなかったら」と壁に書き付けて、自殺した人がいた。

復興の兆しを大々的に報道する一方、政府は被災地に対して二束三文の保障金

(家屋の半壊で50万円、全壊で100万円の保障)しか与えず、

避難指示解除の名の下で責任を丸投げ。

 

 

 震災の翌年の東京はどうなったか。

節電を訴えていた危機感はとうに過ぎて何事もなかったかのように

高層ビルやネオンは眩しいほどに明かりを灯していました。

 報道は、テレビは嘘をつかないという盲信が忽ちに砕かれた年でもありました。

騙された、その一言に尽きます。

爆発した原発は今どうなっているか、一昨年の増税分の税金はどのように使われているか、

自民党が改正に躍起となっている憲法とはどのようなものか、

熊本地震が発生した時、川内原発はどこに立地しているか。

漠然とテレビを見つめていても、恐らくこれらの情報は上ってこないと思います。

 

 

 僕の住むこの国、日本が「平和である」とはどういうことなのか。

言いようのない不安がそこはかとなく漂っているようです。

 

 

ところで今年の4月末、国境なき記者団より衝撃的な調査結果が発表されました。

2016年 報道の自由度ランキング アトリエ-婆娑羅-

 2016年のWorld Press Freedom、つまり世界の報道の自由度において、

日本は180カ国中72位と評価されました。

世界地図の色は薄い黄・黄・橙・赤・黒の5色で塗られ、

黒に近づくほど報道の自由度について重大な問題があるとされます。

日本はその中でも橙色、決して看過できる状況ではないことが分かります。

僕の地元の中日新聞でもこの結果が取り上げられ、現政権による

特定秘密保護法の強行採決によって各メディアが自粛に追い込まれている状況に

原因があると報じました。産経新聞朝日新聞などからも同様に報道され、

朝日新聞によれば日本の報道の自由度は2010年の民主党政権下の11位を頂点に、

原発事故後は急激に順位を落としていくこととなりました。

 

 

  特定秘密保護法が強行採決された後、実際に各種メディアでも

大変な波紋が及んだことは言うまでもありませんでした。

日録をご覧の皆さまの記憶に鮮明なのは、

恐らく報道ステーションのこの回ではなかったでしょうか。

 上記動画の4:20と13:37以降では、古賀さんは番組の裏側で官僚からの圧力が

あったことを名指しで発言し、「更迭」があったことにも言及し、

それに対し古舘さんが取り乱しながら制止。

会社の利益のためにデータを改ざんする社長やポストを守るために

政治資金運用の不正を誤魔化す議員がいる中で、保身を捨てて玉砕覚悟で発言した

彼の姿そのものから信ぴょう性を感じましたし、それを見る僕たちがいかに

事の重大性に対して無自覚であるかを思い知らされました。

 

 

 その後日4月17日自民党がテレビ朝日とNHKに対して事情聴取という

異例の事態にまで発展しました。

標的は専らテレ朝に対してですが、体裁の問題か同時期にやらせの

あったNHKをスケープゴートとして聴取に招くという、手汚さもありました。

これが仮に嘘八百のデタラメだとしたら、多数の聴衆と時が証明してくれるでしょうに、

報道にまで圧力をかける政権の懐の狭さというか、これは基盤の脆さの

裏返しにもとれてしまいます。

 

 

 この時点で、日本の報道がいかに危機的な状況に陥っているかがわかるはずです。

しかしながら、この「見せしめ」が功を奏したとしか言いようのない

事態が以降も続くこととなりました。

 

 

 同年の11月28日、俳優の菅原文太さんが亡くなりました。

『仁義なき戦い』などのバイオレンス映画で知られる名俳優の菅原さんは晩年、

市民運動家として憲法改正や原発再稼動、特定秘密保護法の採決、

集団的自衛権の閣議決定などに反対していましたが、

その活動について日テレ、NHKが自主規制したといいます。

 

 

 一体、何のための報道なのでしょうか。

一人の人間が命懸けで伝えたかったことを、政策のために打ち消されてしまう。

僕たちが最も信頼しているでしょう公共放送の地位も、

震災を期に大きく揺らいだことも納得できます。

人格否定にほかならない、恐ろしい時代はもう間近に、

いやその真っ只中に僕たちはいるようです。

 

 

 とても長くなってしまいました。

拙文を読んで下さってありがとうございます。

報道の問題は小見出し化して簡単にまとめて良いものではないと思いますし、

これは特定秘密保護法に限らず、日本の軍国化や原発の再稼動ならびに

原子力ムラ構造の維持、貧困の維持、国民全体を監視・管理するシステムの構築など、

多くの問題と繋がっています。

 

 

 単に知る権利が失われるだけではなく、僕たちの生きる権利が、

そして遠く海を隔てた隣人の生きる権利さえも奪いかねない、重大な問題です。

この問題をお話しする上で特定の政党や体制に対する批判が入ることが

避けられなくなりますが、是非とも皆さんで考えたいことです。

どんな信条があって、どんな政党を支持しているか、それは当然自由です。

このことについて論争はしたくありません。

 

 

 ですが国の枠を超えて僕たちは人間として、大きな共同体としてどのような

理想を掲げるか、そしてそれをどう実現するか、何を知るべきか、

それが大切だと思います。対話が必要です。

インターネットは一方的なメディアになりがちで、

僕の書き込みもまた一つの圧力になりうると思います。

ですから、この書き込みを信じて頂かなくても構いません。

ここでの書き込みは「疑って読むのがコツ」ですからね。

疑って読むのは自由ですが、そのための基準も忘れてはいけません。

そこで僕が大切にしたい基準は、

「人の痛みを知り、人間の尊厳に立つ」ことです。

 

 

 また後日、関連する記事を書いていきたいと思います。

この日録をきっかけに、どこかで対話が生まれたら嬉しい限りです。