作品解説

-Umui / 虹の声-

2017年6月15日



 本作について、ベラベラ解説を連ねること
はしたくありません。というのも描く事柄に
ついて、僕は断片的で僅かな事実しか知らな
いため、想像で補う所がとても多かったから
です。その出来事の当事者を尊重して、余計
な脚色で塗り固めることはしたくありません
。とは言え、それでは作品の意図が伝わりに
くいので本当に必要最低限の解説を行いたい
と思います。


 題名の umui (ウムイ)とは、沖縄の伝統祭
祀で歌われる、豊作や旅の安全祈願などを 、
神に願うための歌です。そしてウチナーグチ
(沖縄の方言)で「想い」という言葉もまた
、 「ウムイ」で同音語となります。


 ウチナーグチの題名を使ったのは、僕が高
校生だった頃に修学旅行で行った沖縄で、と
ても印象的な文化に触れたことを鮮明に覚え
ていたからでした。沖縄では死後も夫婦や親
子は繋がり続けると信じられており、「骨ま
で愛している」という意思を表すため、同じ
墓地に埋葬されます。終の棲家も同じ家で、
とても素敵な考えですよね。そのためか、沖
縄では家のすぐそばに墓地があったり、風葬
を経ての生まれ変わりが信じられていたりと

、死者と生者との心の距離は案外近いのかも
知れません。


 作品の簡単な解説はここまで、以下は制作
時の僕の回想になります。




 唯一無二の家族を、貴女が貴女の名前を覚
えるよりもずっと前から貴女を愛した人を喪
った悲しみは、想像を絶することでしょう。
当たり前のように我が家に帰ってくることを
願っていた毎日、それが帰らぬ日々となった
ことを、それまでの非日常が日常になったこ
とを、きっと忘られないと思います。
 僕には貴女の心境を理解できるだけの徳も
、経験もありません。そんな僕がこんな作品
を描いて良いのか、ずっと分かりませんでし
た。


 この絵を描き始めてから、悲しい夢を見て
飛び起きる事が増えました。けれど、そんな
偽りに意味などない、僕は何も喪っていない
から。僕は悲劇のヒーローを演じているだけ
ではないか。そこには誰もいない、演じてい

るはずの僕も体だけで中身は抜け殻なのかも
知れない。それから眠ることさえ怖くて、仕
方がありませんでした。誰が物語の主役で、
そもそもそれを誰が描いているのか、作品の
中で主述関係が粉々に砕けてしまいました。


 触れてはいけない領域を侵してしまった。
そうだとしたらごめんなさい、僕は偽善者だ
と認めます。そして金輪際、他人を語る作品
を描かないと誓います。


 それでも、この絵が貴女の励みになってく
れることを祈りながら描き続けました。貴女
が青空の青を思い出せない日々を過ごしてい
るのなら、曇り空の下の毎日を過ごしている
のなら、何時かそこに晴れ間が覘く事を願っ
ています。


 貴女が今日をどんな顔で過ごしているのか
、こんな表情で良かったのか、今でも迷いは
消えません。けれど貴女が何時か、笑顔で全
てを抱きしめる時が訪れるまで、時の流れと
世間体に掻き消されないように、ボールペン
で強い輪郭を刻み込みました。


 雨の後の虹は、この世と天国との間の架け
橋であるという言い伝えがあります。貴女の
喜びと悲しみの時に、大切な人の顔を思い出
すのなら、貴女はきっと、大切な人と心で繋
がり続ける事が出来るはずです。そして貴女
の喜びと悲しみが何時か、雨晒しになった誰
かの心に架かる鮮やかな虹になれたら、どれ
だけ素敵なことなのでしょうか。


 僕は貴女の顔も、貴女のお母さんの顔も知
りません。けれど制作を通して、僕は何故か
自殺願望に似た感情を抱えていました。僕が
死んだ後はどんな世界だろう、それが知りた
くて、命を燃やし尽くして死にたいと考えて
いました。残された人たちに何かを伝えたい
、例え身体を喪っても、誰かの記憶の中で生
きていたい。その願いを、貴女のお母さんと
無意識に重ねていたのかも知れません。


 僕はただの絵描きです。けれどもし、僕が
今日死んでしまうなら、愛を残したいです。
傷付き苦しむことを知るなら、同じ痛みを持
つ誰かの傷を癒すことも出来るはず。貴女の
苦しみは貴女にしか分からない、僕みたいな
紛い物の絵ではない。それでも紛い物は紛い
物なりに、少しでも励みになれたらとずっと

願っています。




 どうか、愛を忘れずに生きて下さい。愛さ
れた日々を抱きしめて、生き続けて下さい。
愛は死にません、貴女がそれを行い続けるの
なら。


 もしもその日々が訪れて、僕の紛い物で拙
い絵を笑う日が来たら、それは本当に嬉しい
ことなのかも知れませんね。